厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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<<   作成日時 : 2006/10/19 21:15   >>

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最近でこそあまり登場しないが、かつては旧社会党勢力を中心にしばしば強く主張されていた。基本的人権擁護などを制限する動きに反対するという意味ならこれは正しいが、もっぱら9条との関係で使われていたような気がする。つまり、9条が絶対に改正してはならない対象である、という護憲論を展開していた人々がいたと思う。金科玉条としてこれを改正しないという護憲論が明白に誤りであることは言うまでもない(憲法には改正条項がある)。そして、戦後60年を経て一世代終わった今、戦争の惨禍は忘れ去られようとし一部の国は日本をねたみ敵視している。とりわけ近隣半島の某国は異様な国家体制の維持のためなりふりかまわぬ恫喝を行い、日本の丸腰をいいことに恐喝を続けている。あきらかに現在の憲法の予定していた世界とは状況が異なっている。

憲法前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と記されており、平和を愛さない某国民ないし指導者の存在を前提とはしていない。この事実(かの国の指導者が平和を愛するものではないこと)は相当前からわかっていたはずだ。本来は速やかに憲法を改正すべきだったと思う。この時代にいまだに憲法を改正する議論すら拒否しているようでは、ちょっと困るのである。平和な時代に現状維持を願う護憲は成り立つ。そうでない時代にシンプルな護憲はただの阿呆だ。別に軍事力の増強を強く主張するのではないが、少なくとも現実に即して憲法を見直す議論は行ってしかるべきだろう。

核武装については、やや次元が異なるとはいえ、「議論」そのものを拒否すべきではない。個人的には日本が核武装するには時期尚早(核の悲劇を世界に伝える語り部としての役割は終わっていない)と考えるが、すでに核不拡散体制が崩壊してしまったのであるから、近い将来には現実的な対応が必要になってくると思う。

ついでに言えば、靖国参拝問題も本来は日本では「政教分離原則」における議論だった。ところがこれが外交問題化したおかげで、むしろ靖国参拝が外交的に是か非かという議論になってしまった。憲法学者の方々からは異論があるだろうが、どう考えても政治運営が神道に基づいていない状態では外交問題として捉えている現状が本来あるべき姿だろうと思う。

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