厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS 村上ファンド判決に思う

<<   作成日時 : 2007/07/20 18:55   >>

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スティールパートナーのケースといい、村上ファンドといい、裁判所の判決や決定で「これぞ庶民感覚?」みたいなものが続きました。スティールパートナーでは「濫用的買収者」、村上ファンドでは「ファンドなのだから、安ければ買うし、高ければ売る」という徹底した利益至上主義には、りつ然とする」とまでいわれてしまいました。債券の売買や為替の売買で糊口をしのぐ者にとっては、それこそ慄然とする言われようです。

いずれもどうしても結論優先、という印象はぬぐえませんが、まだいずれも全文を読んでいないのでうかつなことをいうのは避けたいと思います。法律を学んだ人であれば常識として判決文の中の真の決定根拠(レーシオ・デシデンダイ)と傍論(オビタ・ディクタ)とを厳格に区別することを学びます。これこそまさに実定法律解釈学のキモであるわけで、そのために学者とか研究者が判例を引っ張ったり事件の類似性などを綿密に調べたりするわけですが、メディアのかたがたはお仕事柄どうしても、「これが決めてだった」みたいな話を翌日までに書かなければいけないので、新聞などだけではちょっとミスリードされる可能性はどうしてもあります。おっと話が横にそれました。

わたしはこの判決の一部現がどうも庶民寄りすぎることを危惧しています。
もともと裁判官の役割は民主主義システムの一部であり、だからこそ高裁以下の裁判官は内閣が任命する(よって時々政治的に再任拒否なんてこともありうる)わけですが、裏を返せば内閣の意向がどうしても入るシステムともいえるわけで、もしそういう影響力があったとすれば、現在の安部政権の思想(ポピュリズム)からみて、当然の判決でありましょう。そして、庶民の意見に近い判決こそよい判決だ、という「隣のおじさん」的思いこみもまあわからなくはありません。しかし判決は一つの法源としてルールとなるわけで、裁判官はある意味ルールの設定者としての役割も有しますから、そうかんたんにこびてもらっても困るのです。しっかりと将来を見据えた冷静な判決(先例作り)を望みたいと思います。

この件については多くの方が書かれています。金融関係者とか海外との接点の多い人はやはり批判的な意見が強いようです。私はまあインサイダーの認定部分は表現としてやや行きすぎだろうと思うので(これもまだ直感に過ぎません)すが、一般論として投資家がやっていいことと悪いことについての切り分けが必要だと思うのです。

それは投資家も金融システムのなかの参加者としてシステム維持の責任があるということなのです。マーケット的に無視できるサイズならいいのですが、マーケットインパクトを与えられるほどのサイズと知名度を持つようになれば、それはもはや単なる一投資家のカテゴリーから逸脱してしまうのです。こうした場合投資家にはマーケットのことを考えて行動する責任が生じます。たとえば大口の年金基金がよくやるのですが債券の発注をコンペ形式で数社に出す。しかし、流動性のある銘柄ならともかく、そうでない場合金額にもよりますがマーケットではゆがんだ価格形成が行われてしまいます。この場合、確かに原理原則は透明性や公正さを担保するためにそういうやり方をやるのですが、やはりきちんと値付けのできる証券会社一社に依頼するのが正解だろうとおもいます。

今回の村上ファンドの事例では、彼の採ってきた行動は当初日本の寝ぼけた株式マーケットに活を入れる非常にいいことだったと思います。しかしそれがファンドが大きくなるにつれて、リターンの要求にこたえざるを得なくなった。なにせ某国中銀総裁までご投資されていたわけですからね・・・。アクティビストが本来短期的な結果を求めちゃいけない。会社を変え、社会を変えていく、ということなのですから。しかし会社を変えるというのは、大きければ大きいほどそんなに短期で結果の出るものではありません。日産のゴーン社長がいい例でしょう。彼のせいで長期的には日産がかえって落ち込むという意見もあるぐらいですが、要するに会社を変えていくということの成否がそう簡単に判定できるものではない、ということです。

結果を短期間で求めるあまり、彼は自分のパワーをフルに生かそうとします。知名度十分ですからいろんなところで発言もできるし、ライブドアなんかもまあ喜んで付き合ったわけです。機関投資家がきちんと株主として意見を述べ議決権をきちんと行使していく、というのはとても重要なことに誰も異論はありません。ただ、そのような権利を実効的に行使できるだけのパワーを持ち始めた段階で、その株主はもはや株式市場や資本市場との関係では完全なる自由な立場から外れてしまっていると考えます。つまりシステム自体に影響力を及ぼしうる主体として意識されてしまいます。その段階で、彼らの行動は公的な意味を多少持たざるを得なくなる。もはや「儲けて何が悪い」と開き直ることは許されなくなるのだと思います。今回の判決は法律論としてはおそらく相当無理があるのではないかと推測(あくまで推測)しますが、結局のところ、村上ファンドがもはやそういう行動をとることが許されないくらい大きいものであり、それを裁判という形で結果的にコントロールしたということでしょう。

村上さんは、その影響力をフルに行使し、メディアも総動員して、理想を追求されようと当初はなさっていたとおもいます。しかし大きくなりすぎてシステム的に彼の行動が大きな負荷をかけてしまったのだと思います。あるいみ、役割が一応終わった、という評価なのかな、と思います。(もっとどろどろしたお話が本当はあるかもしれませんが、一応それは知らないということで)。

なんだかわけがわからない文章になりましたが、判決内容はあまり感心しないが一応その背景を理解しようとしてみたということで。

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村上被告に実刑判決
ニッポン放送株のインサイダー取引事件で、東京地裁は19日、証券取引法違反の罪に問われた村上世彰被告に懲役2年、追徴金11億4900万円、罰金300万円の実刑を言い渡しました。被告側は直ちに控訴しました。 ***♪むらかみ・たそがれ♪ ...続きを見る
歌は世につれ世は歌につれ・・・みたいな。
2007/07/20 22:09

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
害債さん、こんにちは。
私も判決文読んでいないので、事実認定として無理なものがあるのかどうかは分かりません(というか皆さんどこから入手されているんですかね?笑)。

結論に批判的なものの中には勢い余って(?)刑事裁判全般が信用ならんという方向に展開しているものもあるようです。刑事裁判制度が完璧でない以上それも理解はできますが、本件を元にそこまでいうのは違うかなとも思います。もしそういうなら刑事裁判全般について同じような意見を言い続けないと、結局金融・投資ファンド村の内輪の庇い合いじゃないかというカウンターを食らう恐れがあるからです。

問題は、私の方の記事では価値判断を示し過ぎという表現にしましたが、害債さんのいう庶民寄りに過ぎるという点ですかね。司法は(情状とかで)一緒になって叩くんじゃなくてもっと毅然としてもらいというのが庶民としての意見であります。
NYlawyer
2007/07/21 05:35
今回の村上氏への判決は、株式というシステム自体が混沌としている中で、不可思議な怒りが無定形に噴出しているという印象を持ちます。
株主の有限責任はやはりシステムとして大きな問題ですし、法人(持ち合い)や機関投資家が大規模に株を持つ行為自体の問題など現状の株式の問題は極めて大きいと思います。
ところがこれに対する有効な解決法が見当たらず、どうすれ良いのか分からない、という怒りが投機行為に対する不信感や怒りを高めているんだと思います。
株式システム自体のよきあり方を提出できないといけないんだと思います。
kazzt
2007/07/21 12:08
どうもです。「“このような”徹底した利益至上主義には、りつ然とする」という部分。伝聞ですが、その前に色々な行為が述べられており、“このような”はそれらの悪質な行為の全体を指した上で、「りつ然とする」という文脈のようです。とは言え、「…りつ然とする」という一文は、それのみで切り取り可能であり、マスコミにはとてもおいしいヘッドラインです。この一文がヘッドラインになるのを見越して判決文に盛り込まれたのなら、恣意的であると思います。なお、この一文の内容を素直に裁判官が信じているなら、金融庁の大森氏ではないですが、「おまえはアホか」と言わなきゃなりませんね(笑)。
本石町日記
2007/07/21 12:17
NYLawyerさん、コメントありがとうございます。価値判断を示しすぎ、という意味は、法律論以上のふくらみを持たせすぎた判決だということでしょうか。おっしゃるとおり情状面での強調が目立ちますよね。
害債
2007/07/21 12:52
kazztさん、コメントありがとうございます。おっしゃるとおりで、そういう怒りをまさに代弁しようとしたのが本件判決文だったのではないかと思いますし、その背景には投資というものに対する「わけのわからなさ」に日本の世の中がついていけていない、という部分での怒りがあるのだろうと思います。ただ、本当に冷徹な資本の論理についていくのが正しいのか日本独自の価値観を引っ張り孤立していくのが正しいのか、という点については議論があると思います。
本文にも書いたように詳細な分析はこれからの研究に待たねばなりませんが、本石町日記さんのコメントにもあるように、ヘッドラインとして切り取られることを意識した判決だったとしたら、ちょっと判決としての役割を逸脱したものだったとは思いますが。
害債
2007/07/21 12:58
本石町日記さん、どうもです。判決文における日本語の使い方がちょっと下手ですよねぇ、最近。
害債
2007/07/21 13:01

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