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日経ビジネスオンラインでこういう記事を見つけました。 http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070821/132656/ 要するに、日本の金融機関の技術や能力が不足しているのでリスクを取れなかったことも今回のサブプライム関連事件で損失が少なかった原因であり、それは必ずしもいいことではない、というご趣旨だと思います。 この方のおっしゃりたいこともよくわかるのですが、やはり「損したほうがえらい」というのは明白に間違っているのでして、とりあえず損をせずに利害関係人に損害を与えなかったことはヨシとすべきです。なお実際に損していないかどうかはまだはっきりしていませんね(たとえばぐっちーさんはこう述べてます)。 本当の論点は、これからの時代にそんなに内に固まっていて、海外を含めた「先進的な」金融技術にかかわらないで、日本の金融機関に未来はあるのか、ということなのでしょう。 これについては二つの視点で考える必要があります。 第一に「金融」ないし「金融機関」が実体経済にどのようにかかわっているのか、どのような名役割を担っていくべきかという視点、第二に今回のサブプライム関係の仕組み、それはほんとうに「先進的」といっていいのかという視点です。 第一の視点についてですが、本来的な金融の使命は資金余剰のセクターから資金不足のセクターに橋渡しを行うことでしょう。お金そのものが価値を生み出すわけではなく、お金を必要とするセクターにおいてそのコスト以上の付加価値を生み出すことを前提に、一定のコストでお金を融通することを通じて、手数料をいただく。広い意味では流動性を供給しているという意味において投機的なヘッジファンドなども金融の主体なのです。しかしながら、世界経済があちこちで成熟期を迎えてしまうと、資金不足の場所がだんだんなくなってくる。 ここから金融ビジネスの自己目的化が始まるのだと思います。日本などはとてもいい例で、人口が伸びない中で経済のポテンシャルが限られ、結局輸出部門しか投資機会を見つけられていないのが実情です。ところがお金はグローバルに自由に動き回りますし、貯蓄過剰の日本において、少しでもスプレッドの乗った社債などに機関投資家が集中し、FXや外債ファンドに個人のお金が集中したのもその帰結でしょう。つまり資金余剰が進んだ状態(日本においてはほぼ常態で海外においてはこのような過剰流動性の時期)では、金融ビジネスの自己目的化という、やや本筋を逸脱した状況が生まれるのだと思います。その結果高いリターンを提供できると称する商品が格付けの甘味料つきで提供され人々がそれに殺到する。資金不足セクターが限られている以上、今回のように本当はローンを借りられないようなサブプライム層に審査なしで貸すという形で無理やり資金需要をつくるといった行動が生まれます。金融ビジネスが自己目的化したことによるマイナス面だろうと思います。 理解しようとするまいと、このような状況でこういう商品に投資することは、金融の自己目的化に一層の燃料を投下することです。金融技術も大事ですが、金融の王道である資金の社会的な適正配分に寄与するためには、その資金がどういうところにどのように使われているかを考えて投資する必要があります。ヘッジファンドなどのように自分だけのことを考えていればいい主体と決済を通じて社会のシステムにかかわる銀行とはおのずから行動規範が異なるでしょう。「日本の金融機関」というくくりかたで議論することにも無理があるのだろうと思います。 銀行などが収益を追求することはもちろん許されることですが、投資銀行業務と決済業務を同じ企業がかねてしまっているのであれば、システム的な安全という意味で収益よりも安全性を優先するのが正しいでしょう。現実に野村は結構この案件にかかわっていたわけですし、投資銀行や証券会社あるいはヘッジファンドは日本でも結構かかわっていたのではないでしょうか? なお、こういう金融技術に邦銀をはじめとする日本の金融機関が無知であったとは決して思いません。たしかに細かいところのレベルの差はあったかもしれませんが、一番大きな差はそういった商品の流行が長い目でマーケットにどういう影響を与えるか、という観点での「良識」ではなかったか、とおもいます。そしてこの「良識」のほうが細かい金融技術よりも社会的な意味を含めて重要であると私は考えています。 第二に本当に先進的か、ということですが、金融技術がアメリカでツールとして日本より先に進んでいることは認めざるを得ません。そして欧米の金融機関がこれらのツールを使うことに長けているのも事実でしょう。今回の仕組みで言えば、ローン譲渡のテクニック、資産精査の方法論、オフショア特別目的会社の利用の仕方、リーガル面での整備、などなど、最近でこそほとんど日本の金融機関でもキャッチアップしかかっているものの、海外金融機関からまだ学んでいる状況だと思います。ただ、今回の仕組みの最大の「キモ」である「高格付けなのに高リターン」という部分についてはどうでしょうか? すでに以前に書いたように、そして多くの人々が指摘しているように、この部分は格付け会社がフィー欲しさに基準をゆるくしたか良く理解しないまま格付けをつけたのではないかと思われます。結果として明らかに「間違った」わけです。間違ったうえに、金融市場に大きなゆがみを産んだわけです。こんな仕組みを決して先進的と評価することはできないのです。格付け会社が間違ったということは、その前提を数理的に計算して組成販売した主体も結果として「間違った」あるいは「だました」ことになります。間違いは間違いであり決して「先進的」として評価することはありえないでしょう。そして間違ったものに投資しなかったことについて文句を言われることがあってはならないでしょう。 再説になりますが、そしてもっとも重要な論点かもしれないのですが、日本の金融機関が投資しなかったのは必ずしも「無知」や「過剰なリスク回避行動」によるものではなく、「良識」によるものだということです。確かに正しいリスク管理に基づいてとれるリスクを積極的にとっていくというのは正論です。しかし、今回のマーケットドタバタ劇ではっきりしたことは、統計的なリスク管理が必ずしも十全ではないということでした。それこそファイブシグマという状況が示現し、ロングショートのファンドがあちこちでふっとび、しかもそれは必ずネガティブな方向に出現する(儲かっているときはポジションを全員が同時に動かすことはほとんど無いため)事が改めて証明されました。完全なリスク管理のプログラムを書くことは、それが数字の基礎だけに依存している限りにおいてきわめて難しいし、かなりの優れたプログラムでも簡単に裏切られるのでしょう。したがって、ソリューションは二つ。まったくリスクを避けるか、一応のリスク管理をしながら最後の部分を人の「良識」にゆだねるか、です。 ところが、ここでも金融の自己目的化によって、プログラム上リスクを落として収益を上げるような主体がたくさん登場してきます。日経BPのコラムの筆者の意見を敷衍すれば、数理的に正しいものを理解もせずそこに踏み込まないことは遅れている証明である、ということになりますが、2006年から2007年の状況でまともな投資家であれば信用リスクを筆頭にリスクが極端に安売りされすぎている、ことについて明確な疑問を持ち続けていたはずです。(はっきりとは申し上げられませんが、われわれはある時点から思い切りリスク(ボラティリティー)を買いもちにしてきました。)数理的な基礎が仮になかったとしても、今回のような案件に少なくとも2006年後半以降手を染めないというのは、経験ある投資家として市場の仕組みを理解していれば当然過ぎるほど当然です。あえてそこにリスクを無視して参戦すれば、ゆがみをそれ以上に拡大する共犯者になることが明白でした。それをしなかった日本の金融機関とそれをしてしまった海外の金融機関やヘッジファンドと、どちらが問題か、それは私は明白だと思っています。 過去の統計に依存した数字の組み立てで低リスクを実現する。しかし本来起こりえないことが何度も起こってしまうのが現実の金融市場であり、数理的な分析には限界があるということを認識しておく必要があります。だからこそ、ダニエル・カンネマンなどに代表される行動ファイナンス分野が評価されノーベル賞にもなるわけです。数理的な分析が先進的だとすれば、マーケットの状況を定性的に「読む」こともきわめて高度な作業なのです。あるいみ車の両輪としてきちんと使っていくべきなんでしょうね。 |
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ビジネス 金融
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金融 2007/10/28 20:26 |
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最近になってこちらのブログを知り、いつも楽しく拝見しております。 |
とおりすがり 2007/08/27 01:45 |
日本の金融機関には損をしてほしい、それで儲けたい人間がいるのでないか? |
K 2007/08/27 05:25 |
>世界経済があちこちで成熟期を迎えてしまうと、資金不足の場所がだんだんなくなってくる。 |
kazzt 2007/08/27 10:24 |
とおりすがりさん、コメントありがとうございます。品質管理で言うシックスシグマと株式市場のシグマとはちょっとレベルが違うのでしょうけれど、いずれにしても証券市場はある意味仮想現実という部分がありますので、あまり統計的なことに頼っても却って危険なんですよね。これからもよろしくお願いします。 |
厭債害債 2007/08/27 23:23 |
kさんコメントありがとうございます。実はまだ日本の(あるいは世界の)損失の本当の姿もわかっていません。ブルブルwww。こういうご時世ですから、誰かが損をしないと一部の金融機関の方々にあのような高給は支払えるはずもなく(以下自主規制)。 |
厭債害債 2007/08/27 23:26 |
kazztさん、どうもです。ご指摘のとおり最終的には相手を見る必要はあるのですが、今のご時世では金融機関において投融資の「説明責任」みたいなものがありまして、与信における社内のスコアリングないし社内格付けみたいなプロセスが要求されるのです。以前よりはどこも数字の部分のウェイトが高まっているのが現実です。 |
厭債害債 2007/08/27 23:29 |
厭債害債さんのこのエントリーの「お金そのものが価値を生み出すわけではなく、お金を必要とするセクターにおいてそのコスト以上の付加価値を生み出すことを前提に、一定のコストでお金を融通することを通じて、手数料をいただく。」という部分、金融機関の役割について改めて考えさせられました。 |
SOS 2007/08/28 00:30 |
>どこも数字の部分のウェイトが高まっているのが現実です。 |
kazzt 2007/08/28 08:47 |
SOSさん、コメントありがとうございます。とりわけ米国の学校では実践的な教育が中心で、金融技術という点ではどうしても一日の長がありますね。ただ、個人的感想としては、もうすこし「道徳」も教えてほしいなぁとか。まあ価値観が多様であることを前提とする彼の国では詮無きことでしょうが。 |
厭債害債 2007/08/28 23:04 |
kazztさん、どうもです。数字のウェイトが高いというのは、定量判断の部分が大きくなっているという意味です。わかりにくくて申し訳ないです。社会政策的に有効な資金使途という観点は重要ですね。 |
厭債害債 2007/08/28 23:09 |
ご指摘の件、同感です。マネーゲームの行き過ぎと崩壊(ブーム&バスト)は市場経済には付き物であり、根っこで起きることは、リスクの取り過ぎとその後の投売り。この上に乗っかった金融技術が時代と共に高度化・複雑化した、ということでしょう。従って、金融の本質論としては「行き過ぎ」をいかにして察知するかで、別に技術はなくても経験と勘でもいいわけです。ところで、余剰資金を不足主体に回すという意味では、最大の資金不足である政府に円滑に回すのが一番大事で、アウトライヤー規制なんて邪魔だ、というのは言い過ぎですかね(笑)。 |
本石町日記 2007/08/28 23:13 |
本石町日記さん、どうもです。なるほど、そういう見方もありますねぇ。きっとほうっておくとそうなるんでしょうかね(笑) |
厭債害債 2007/08/29 07:08 |
先進技術が先端技術に変わって多用され始めたころからこの金融の病巣は広がっていたのだと思う。 |
パイオロジー 2007/09/18 23:19 |
バイオロジーさん、コメントありがとうございます。しばらく留守をしておりお返事が遅くなりました。ワタクシは基本的に金融の生み出す付加価値とは効率性だけだとおもっておりまして、その部分を除く先進技術というのは信用創造の増大、リスク許容度の増大、あるいは他人の損というテクニックに帰着するのだと考えており、本当の意味での先進技術とはいえないのではないかと漠然とかんがえています。 |
厭債害債 2007/09/25 18:20 |
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