厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS ヒラリー・クリントンのスピーチ

<<   作成日時 : 2008/08/29 09:35   >>

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デンバーでの民主党大会でのオバマ支持。

http://jp.youtube.com/watch?v=gaUbFk4xp9A

思わず見ちゃいました。
さすがは千両役者。見事に盛り上げてますね。今回の役どころはもちろん(本意ではないとしても)オバマ氏への支持を(主として自分への支持者の)民主党員に呼びかけ、党の結束を強めるもの。いやはや家族ぐるみで見事に演じきってます。

クリントンは別格として、アメリカの人はやはりスピーチがうまいです。これは小さいときから学校でも訓練されているからという部分もありますが、とにかく、いろんな技術を使って人々をひきつけ、何かを得たような気分にさせる。

今回のヒラリーさんのスピーチを「見て」いて、結構きっちり計算されているなぁと感じたところが多くありました。たとえば全体の構成と運び方。今回は全部で大体23〜4分ぐらいでしょうか。見たところ概ね3部構成という感じです。で、こうした部分構成は、大体熱烈なスタンディングオベイジョンで区切られる仕掛けになっている。ということは当然その直前に、人々が否が応でも感動し拍手せざるを得ないようなフレーズや言葉を持ってきている。

結局こういうやり方は舞台物(オペラとか)の構成に似ていると思います。オペラで多いのは3幕もの。まさに今回のスピーチの構成で、大体幕の前にアリアとかデュエットとか合唱とかいろいろ盛り上げるシーンがあって、みんな立ち上がって拍手したり(アメリカの場合ですが)するわけで。

で、オペラや劇では一幕のなかでも「場」という区切りがあって、そこも適度に盛り上がる。ヒラリーのスピーチでも適度に要所要所「(場)」で盛り上がりながら、大きな3つの区切り(「幕」)を形成したように思えます。第1幕だか2幕だかの終わりには「No way, No how, No McCain」というせりふを持ってきて一気に盛り上げている。

そして、当然のことながら、フィナーレは最高に盛り上がらなければならない。

スピーチの画像を通してみていて、彼女のノンバーバル(非言語)の部分がやはりごく自然にすばらしいと思いました。第一幕ではあまりたいした身振り手振りを使いません。手は時々動かしますが、せいぜい胸の前でちょっと動かす程度。マイクの位置より上に来ることはありません。表情も緩やかで、目もそれほど見開かず、ゆったりとした感じで話します。

ところが最初の三分の一を過ぎたあたり(つまり第二幕にはいるあたり)から手の動きが大きくなります。時々マイクの位置を越えた上まで手が上がり、時には横にも動きます。しかしそれでも基本はにこやかに。このあたりから、聴衆との相互作用が意識され、意図的に客席を指し示すようなしぐさが混じります。

圧巻は第三幕で、最初は2幕の流れを引き継ぎながら、フィナーレに向けて必然とも思える流れを作っていきます。そして最後の3分間で爆発です。声が一段と張り上げられ、手振りは休むことなく上下左右に動きます。手を使って聴衆に強くメッセージを送ります。目は大きく開かれ、女性らしさを失わない節度で上半身をフルに使ったメッセージを送り続けます。

やはり、小さいときからスピーチやプレゼンの仕方を叩き込まれる人たちには、日本で教育を受けた人々はなかなか太刀打ちできませんね。社会科学が説得の学問であり、政治はその最たるものだ、ということがきちんと教えられていないから、逆に政治的無関心が増えてしまうのかもしれないと思います。

ともあれ今回のように結論の決まっている場合、これは一つのショウでありパフォーマンスであり、いかに盛り上げるかが非常に重要になります。その意味で、ヒラリーはやはり役者だったとおもいます。

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コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
連投すみません。

ヒラリーも時さえ得てれば余裕で指名を勝ち取るだけの実力を兼ね備えていた候補だったと思います。かんべえさんの日記に紹介されていた節には唸らされました。

確かにショウ化している部分はあるにせよ、その見せ場をきっちりと自分自身で作り上げ演じることができるのは政治家としての大事な要素だと私も思います。
名無之直人
2008/08/29 22:25
>>社会科学が説得の学問であり、政治はその最たるものだ、

そのとうりなんだけど・・・
アメリカ様の社会科学である金融工学という説得は無残極まりないものでした。その尻馬に乗り続けようとしている人が日本で未だにのさばってるますが・・・・
こういう所から社会科学の無残さを日本人に教えていくという手はどうでしょうか?
kazzt
2008/09/02 11:52
名無之直人さん、どうもです。おっしゃるとおりで、きちんと役割を果たしたヒラリーもビルも偉かったと思います。そしてその実力を改めて世の中に知らしめた、ということでしょう。

kazztさん、どうもです。金融工学なるものは、途中まで「工学」で後は「文学」でありショウである、と思います。という意味ではやはり説得のエリアであって、多くの人が「説得された」結果大量のエクスポージャーをかかえてこけたということでしょう。社会科学でありながら、自然科学的な捉え方をしたことによる問題ではなかったかと思います。
厭債害債
2008/09/02 18:00
>>多くの人が「説得された」結果大量のエクスポージャーをかかえてこけたということでしょう

説得されていなかった人にも迷惑を大きくかけてですね。僕は強い疑念は抱いていたけど、はっきりとまでは否定できなかった。ただ、すでにはっきりと説得されていない人にまで迷惑をかけるしろものなことがわかった以上は、否定されるべきだと思います。有効な改善案も有りですけど・・・少なくとも他者に迷惑をかける行為は許される自由では無く、規制されるべき行為です。「自由の最大化」は同時に必要な規制を構築する行為ですから・・・

>自然科学的な捉え方をしたことによる問題ではなかったか

アメリカ哲学を啓蒙する「思想の科学」という雑誌が有りました、優れた内容の雑誌でしたが、自分は元が理系のため「思想の科学」の中の科学という言葉に強い違和感は有りました。社会科学にしてもなんでアメリカ哲学では科学という紛らわしい言葉を使うのか理解できないのです。別に社会学で良いんじゃないかと思います。
kazzt
2008/09/04 16:55
kazztさん、どうもです。科学という言葉を用いたのもきっと外来語由来でしょう。学問としてはもちろん成立するとしても確かに科学というのは日本語の語感として紛らわしいかもしれませんね。
厭債害債
2008/09/08 17:41

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