厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS プロシクリカリティー

<<   作成日時 : 2009/03/19 10:45   >>

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シクリカル(Cyclical)という言葉は景気循環に沿ったという意味に使われます。プロシクリカリティー(Pro-cyclicality)というのはそれに味方するもの、つまり景気循環を増幅させるという意味になる。最近の議論でよく出てくる言葉となり、時価会計の問題、バーゼルIIの問題が典型的でしょう。

時価会計によって相場変動がそのまま企業のバランスシートや損益計算書に大きく反映されるようになると、相場のいいとき(つまり景気のいいとき)は企業は余裕ができてイケイケドンドンになり、投資もバンバンできて資産価格にさらに上方圧力がかかりやすくなります。逆に、最近のように資産価格が下がるとそういう投資が落ち込むばかりか、企業はバランスシート防衛のために資産を処分せざるを得ず、それが相場下落にいっそう拍車をかける事態となります。つまり時価会計の深化がそういう企業行動を後押ししてしまうのです。

またバーゼルIIでも、企業与信についての債務者区分を細分化し、従来一律100%だったリスクウェイトを優良企業について少ないリスクウェイト(たとえば20%)にできることになったため、そのような内部格付けを採用する金融機関では、形の上で優良企業が増える好景気のときは所要自己資本が少なくてすむようになりました。ところが逆に景気が悪くなると与信先企業の財務状況が悪化し、債務者区分のランクが落ちていく結果所要自己資本が増えてしまい、金融機関自身が資本不足に陥ることになります。その結果貸し出しができなくなり、貸し渋りとか貸しはがしとかいう事態となってますます景気の悪化に手を貸す結果となってしまいます。

両方に共通しているのは、企業や金融をある一時点で輪切りにした断面でしか見ていない、あるいは見ることを強制するルールだということでしょう。そしてその前提にあるのは、価格や企業の信用のもとになる数値は客観的なものとして捉えられるという理解ではないでしょうか。逆に言うと定性的なものの軽視。しかし実際には有価証券の価格などきわめて相対的であるし企業の信用はワタクシなど社長の人格にすべてかかっていると思うクチだから数字だけで判断できるものでもない。ところが時価会計にしてもバーゼルIIにしても、「客観的」なものが大きく動く(短期間でそんなことは本来はありえない)場合それに沿って短期間で処理を進めることを善としているから、当然きわめて短い期間の間にプロシクリカルに大きな動きとなる。さらに言えば不必要に短い会計期間(四半期)がこの動きを加速していると考えます。つまり企業側に考える余裕を与えないこの短さはやはりプロシクリカリティーの一つの要素なのです。会計の専門家や政治や金融政策担当者の中で、ようやくこのプロシクリカリティーの問題に正面から取り組む機運が見えてきたのは好ましいことだろうと思います。

もちろん、不良資産を早めに処理するということ自体は悪いことではなく、それによって回復が早まることも事実であり、それを強制する仕組み自体は悪くない。しかし、いまその仕組みによって企業が同時に同じ行動に出る結果、合成の誤謬とでも言うべき状況で不良資産の買い手がまったくいなくなり、企業そのものが消えてなくなるケースも増えているわけです。一部が淘汰されるだけではなく、システミックに焼け野原となる危険を孕んだ仕組みとなってしまっている。汚いスラムを焼いてしまえばきれいになるのではないかという議論は、そこに住む人々も社会を構成しているという事実を無視しなければ成り立たない。そして今回のように延焼の危険が極めて大きい。見解の分かれるところかもしれませんが、ワタクシはそれはやりすぎだと思うのです。

ワタクシの感じる問題点は、会計や制度があまりにも性悪説にたちすぎてできるだけ早い企業行動を強制する仕組みになりすぎているのではないか、ということです。会計期間は短いほうがいいし、時価は客観的なほうがいいというのがこれまでの傾向でしたがその結果それぞれの期間におけるプロシクリカリティーは巨大なものになってしまいました。

資本主義を前提とした企業社会の仕組みで一番大切なものはなにか、といわれればそれは企業家としての魂ではなかろうか?と思う。他律的にマイナスを避けるために行動するのではなく、主体的に社会にプラスをもたらすための行動を取ってもらうことで、社会は良くなっていくはずだ。そのためには企業が行える「経営判断」の余地をもっと増やすべきではないかと思うのです。その意味では性急な判断を常に強いるような仕組みは、いい面もあるけれど行き過ぎると資本主義のよさを壊してしまうのです。実際最近の政府の行動を見ると社会主義化と見まがうばかりの状況だし、国会では共産党議員から市場機能の喪失について心配されてしまう始末です。そして最近の企業行動はすっかり萎縮し波間に漂う小船のような印象。自分でのコントロールの余地が昔に比べて大きく奪われているように思えます。そしてそれが結局「派遣」や「日雇い」の問題につながっているように思えます。

ところで、AIGだけを非難する風潮について一石を投じているのが昨日のWSJの記事。

Hedge Funds May Get AIG Cash

この中で筆者はAIG救済を通じて、結果として多くの欧米投資銀行やヘッジファンドが救済されたことを指摘しています。ヘッジファンドが住宅価格下落やデフォルト率上昇によってサブプライムCDOなどの価格が暴落する方向にポジションを張る一方、それのCDSの受けてとなったのがAIGです。一般に保険をいくらかけていても保険会社が払えなくなるリスクは契約者が負うのが原則です。しかし今回はそれを国が肩代わりした形となっている。もちろんAIGの行動が問題であったことは言うまでもなく、これまでもエントリーで非難しているところですが、それではサブプライムCDO指数などを使って価格暴落の引き金を引いて未曾有のシステミックリスクまで引き起こしたヘッジファンドや投資銀行たちあるいはABXとか作ってしまった責任はまったくないの?とか考えてしまいます。AIGがその大きさに依存したモラルハザードを生じさせたといってしまえば身もふたもないのですが、リスクをとりすぎたAIG同様に、自分たちの行動が結果的に地球規模のシステミックリスクになることに気がつかなかったABXの創設者や主だった取引主体にはまったく不注意だという責任はないのだろうか?どちらも深い洞察力にかけていたという点では私の目にはかなり似ているとしか思えません。

たしかに不合理な価格は修正されなければならないという理屈はあるし、市場原理がその道具として有効であるというのもまた正しいのですが、それが暴力的な動きを伴うとき、果たして正当化されるのだろうかという疑問があります。たとえは悪いけれど、町に強烈なスラム街があって再開発すれば効率の高い利用価値が生まれるという場合、とりあえず火をつけて全部燃やしてしまうという行動が正当化されるかどうか、ということではないでしょうか?サブプライムというスラムの経済的非合理性に目をつけて火をつけて地上げを図ったヘッジファンドなどが普通の住宅地まで延焼させてしまったというのが今回のケースではないでしょうか。そうした観点からは、ガソリンをまいたAIGと火をつけたヘッジファンドや投資銀行(投資銀行は種もまいているけれど)の共同作業でシステミックリスクは発生し、納税者の税金が大量に吸い込まれたことに対して、納税者はAIGだけを責めるべきなのかどうか、冷静に考えてもいいかも知れないとは思います。日本人はこういう非難はあまり状況には効果がないことを知っていますしね。

繰り返しになりますが、ここまできた以上一気に処理をすべきだというのは正論であり、ワタクシも理屈の上ではまったく賛成です。ただ、やり方を間違えると、本当の焼け野原になる。デリバティブも使い方を間違ったり乱用したりすると放射能汚染みたいな話になる。要するにコントロールができていなかったのが今回の騒動の元だということに思いを馳せれば、これからの対策もただただ理屈にしたがって強引にやれるかどうか良く考えなければならないでしょう。

ついでに言えば、対外債務国であり今後も借入れを増やさなければならなくなった米国で、とうてい費用は税収だけでは足りない。米国の納税者は今回のコストの一部を支払っているに過ぎないともいえます。本当に大量にコストを支払うことになるのは結局債権者である中国や日本であり、そこの納税者であることを我々は忘れてはならないと思うのです。その意味では日本はもっとアメリカのやり方に深く関心を持ってコミットして発言していいのだと思います。

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内 容 ニックネーム/日時
おっしゃっていることはその通りだと思います。経済の規模(例えば営業利益)を振り子に例えると物理的には全体として共振する規模、時定数がそろってしまったといえるかもしれません。ダンパーを入れて減衰させたいのですが、ダンパーによるエネルギーの散逸は、多分経済的には非効率や無駄に相当するのではないでしょうか(例えば定性的判断の主観性や誤り)。そういうことを許容する方向には、私の身の回りの社会は動いていません。難しいと感じます。燃えきらないと消えない火災もあります。
ばんくら
2009/03/19 23:14
なんとなく的な理解ですが、仰りたい事は分かる気がします。
しかし、弾力的な運用というものは、えてして恣意的な運用に陥る気がします。
私は当局の能力をそれほど信用しておりませんので、副作用が強くても原理原則に則って進めて行く方が、結果としては良かったと言う事になるのではないか?と思います。
39歳無職
2009/03/20 09:58
確かにその通りですが、それをどうやって体系的に法制化なり規制化して運用するかとなると極めて難しいと思います。このような事態を招く前にもネット上やマスコミなどで様々な意見が出されましたが、全員勝者の状況では何を言っても臆病者の烙印しか押されなかった心理状態を一体誰がどうやって矯正できるというのでしょうか?また、物言う株主(それ以外でも国民や格付け会社、投資家、証券会社や銀行、ヘッジファンドなども含む)が利回り要求を出してきた場合、一体誰がどのように拒否できるのか愚かな立場では知る由もありません。
タロ
2009/03/21 00:11
ばんくらさん、どうもです。おっしゃるようになかなか方向性としては難しいのでしょうね。どうせ燃えてしまうもの、という見方もできるのかもしれませんし。

39歳無職さん、どうもです。弾力的な運用ではなく、弾力的なルールをきちんと定めることが重要だと思うのです。後者は能力に信用のおけない当局の介入を極力排する立場ですが。でもやっぱり難しいかもしれませんね。

タロさんどうもです。まさにその時代の流れに掉さすというのはだれにとっても難しいことには違いありません。理想論ですが、関係する一人ひとりが間違わないよう地道に平時から訴えていくしかないのかなぁとも。自分が正しいというつもりはありませんが、違った立場からの主張を常に大事にしたいと思います。
厭債害債
2009/03/21 11:16
いつも楽しく拝見してます。
プロシクリカルと合成の誤謬については、私もかねてから「ひっかかり」を覚えていて、今日の内容を見て溜飲が下がる思いでした。そういう意味で
直前のコメントの「弾力的なルール」というのが重要というのも、全くGoodです。
tatsu
2009/03/22 16:04
tatsuさんどうもです。フォローありがとうございます。
厭債害債
2009/03/22 17:50

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