厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS 「ぶれる」ことについて

<<   作成日時 : 2009/07/12 18:30   >>

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最近某国首相の言動がぶれるとかいろいろ批判されているようだ。国民●党のポスターなどは「ぶれない」ことを前面に打ち出しているから、ぶれないということはそれ自体価値を持つことととらえられるようだ。とはいえもともとぶれるという言葉は写真などの手ぶれに近いイメージであり、主張が変遷することについては「ふれる」とか「ずれる」とか言うのが多分より正確だろうと思う。ちなみにこういう意見もある。
http://atsso.asablo.jp/blog/2009/06/06/4346146

それはともかく、けっして某国の首相の肩を持つわけではないが、「ぶれる」ってことはそんなにいけないことなんだろうか?なんだか意見を変えることがいけないみたいないわれ方をしているけれど、一般論としては、意見を変えることは「民主主義」のプロセスの中に当然あるべき出来事として組み込まれている。つまり、民主主義とは主張の違う人々の間の多数派獲得工作プロセスであり、多数派工作を説得という作業を通じてやることに他ならない。説得によって一定数の人々が主張を変えること、つまり「ぶれる」という作業がなければ、そもそも議論などする必要がないからだ。

たしかにぶれてはいけない状況はある。それは多分人間としての根幹の価値観にかかわる部分についてである。クリスチャンになったり無神論者になったりを毎年繰り返すような人は多分信用されない。共産主義と資本主義の間を行ったりきたりするような人も信用されない。若いうちはまだしも、一定の年齢を過ぎるとこういった頻繁なぶれ方はやはりまずい。

しかし、内閣改造とかそういった技術的なことについてぶれただのぶれないだの言うほどの話かどうか。だいたい、ぶれないことはそんなにすばらしいことなのだろうか?戦争で指揮官がひとたび突撃と決めたら、そのあと相手の戦力を見誤っていたことがわかったとしても撤退しないのはぶれないということで賞賛されるのか?

そういう意味ではワタクシは「公約」なるものを初めから信じない。実行不可能になることが多いからだ。しょせん一人の議員レベルでいくらいい格好しても、結局は議論のうえで異なるところに結論がもたらされることが多い。それをいちいち公約違反だと目くじらを立てるのはばかばかしいし、先にも述べたように民主主義システムに組み込まれた議論による説得というプロセスを無視するものである。代議制民主主義ではとりわけ、公約など意味がない。議員を選ぶ際は、人格と知性と広い意味での能力がすべてであるとおもうのだが。

相場でも、本当のリスク管理は柔軟なフットワークにこそある。自信を持ったポジションでも状況が変われば早めに見切りをつけて損切ったりすることによってこそ生き延びることができるのである。その意味ではワタクシだってこれまでぶれまくっている。もちろん周囲を混乱させることは別の独立したデメリットである。内閣改造だって、当事者の間ではそれはきっといろいろあったかもしれない。しかし別にそのことについて部外者がどうこう言う問題ではない。国民の側からは、最適な行政府のチームを作る責任を首相にゆだねているのであり、結果さえ出してくれればぶれたのぶれてないだのという事柄は議論の値打ちすらないように思える。

論理の一貫しているのは美しいけれど、実社会ではそうならないことは山のようにある。タレブの「ブラックスワン」も、モデルの美しさを追及しすぎて実社会でおこるさまざまな可能性を過小評価することのリスクを説いている。劇作家のオスカー・ワイルドは「一貫性とは、創造力のない者たちの最後の拠り所である」と言ったそうだ。

ぶれては困るというのは哲学とか宗教の世界の話である。創世記を教えていた人がいきなり進化論を唱え始めたらそれを信じてきた人が大混乱する、そういうレベルの話である。民主主義のなかで政策はぶれて当然である。政策というかなり技術的な部分でいくらマイナーチェンジを繰り返そうが、それは当然制度として予定されているぐらいの気持ちで望まなければ、国民はメディアの無駄な情報に振り回されるだけで本当にいい結果を得られない危険があるのではないだろうか?

あと、時間軸の問題もある。長い時間をとれば我々は多くの人が多かれ少なかれぶれていると思う。政治の世界でも国の在り方にかかわるぶれ方が必要とされた部分もある。

信条にかかわることでなければ「ぶれる」のは恥ずべきことではないと思う。そして必要な場合にはそれでもぶれなければならない。きわめて重要な局面で、「ぶれる」ということを恐れるというだけの理由で「ぶれない」ことこそ危険であろう。

(オマエの自己弁護だろうというツッコミは甘んじて受けますが)。

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「「ぶれる」ことについて」について
「「ぶれる」ことについて」について この某国首相の言動と言うのは名指ししていなくとも麻生太郎総理の事で間違いはないと受止めます。彼の犯した罪は、政策とか政治哲学の事ではなく、人間的なものと考えます。福田康夫前総理が「自分の事が可哀想な位」と言って、選挙の顔を求めて辞職した事に対して、全く誠意の認められない麻生太郎総理を国民が人情論として受止めていると考えます。 ...続きを見る
よく考えよう
2009/07/12 21:42

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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
私もしょっちゅうブレます。
特に株や為替でポジをもった後、展開が自分の予想と違った時にそうなります。
(残念な事に今もそうだったりします
程度やその見せ方の問題なんでしょうけど、
さすがに一国の総理となると、要求されるレベルが高いのは仕方がないですね。
39歳無職
2009/07/13 06:39
記事を拝見してなんだかホッとしました。
確かに「ぶれる」という言葉は最近とみによく耳にしますよね。
カメラの「手ブレ」からきているんですね?
この言葉自体によい意味はないのですから、「ぶれる」ことは悪いことになりますよね。その意味では「過剰流動性」という言葉と似ている気がします。

「ぶれる」⇔「君子豹変す」
(でも今のカンテイの主人がカイサン時期についてこの空気で言及すると、ブレてる、と批難されそうな・・・)
お伊勢参り
2009/07/13 12:36
結局、バカだからでしょう。バカは何をやってもバカだなあとしか思われない。ブレても、バカだからブレたんだなあと思われる。小泉みたいに政局の天才だと、ブレても「あ、また何か閃いたのかな?」と思われる。小泉の答弁を見てるとかなりテキトーです。でも小泉語録になる。阿呆の語録は、ただの阿呆です。
popper
2009/07/14 03:59
民主主義は確かに意見を折衝し、摺り合わせていくプロセスを必要とするわけですが、
少数意見の尊重もなされるわけですよね。
国民新党みたいな少数政党が、大局にしたがってぶれてたら、
郵政民営化反対などの少数意見を持つ有権者にとっては何の意味もない政党になってしまいます。
少数者にとっては、求めるリターンははっきりしてるわけですし。
もちろん、政治家の全人的な資質を見て投票するわけですけど、そんときにはヒストリカル・ボラティリティも見るんだと思うんですよ。だから、ぶれないってのは、「われわれは振れ幅が小さい!ヒストリカル・ボラティリティも小さい!」と言ってるんであって、地方の老人にも受けるし、投資の世界でもとても重要視されるものだと思うんですが。
オーファーマネスル
2009/07/15 10:21
39歳無職さんどうもです。まあ確かにレベルの高さは首相には求められますが、どうも最近のは揚げ足取りに近いような気がしています。お伊勢参りさんどうもです。そうなんですね、君子豹変すというのもありました。まあ君子かどうかはわかりませんが。
popperさんコメントありがとうございます。バカといわれればたしかに下手ですね。この辺カリスマ性の違いとしか言いようがありません。
オーファーマスネルさんコメントありがとうございます。確かに少数派はコアな支持層を大事にしなければいけない分、ぶれることのリスクは高いかもしれません。
厭債害債
2009/07/17 20:57
イスラエル・パレスチナ・ヨルダンとの共同プロ
ジェクト平和と繁栄の回廊を外務大臣時代から
進め、実行に移した首相がバカでアホですか。
通信社でさえ、週に1〜3本は日本語記事と英語
記事の中身の変造を今も続けている事でしょう。
こんなマスコミの「ぶれる」報道を盲信しちゃう
人のほうが、バカでアホといわれるべきです。
崖っぷち
2009/07/21 01:51
崖っぷちさん、コメントありがとうございます。ワタクシも麻生氏の業績については正当に評価されていない面が多いのではないかと思います。
厭債害債
2009/07/23 01:15

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