厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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<<   作成日時 : 2009/08/31 19:30   >>

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株が専門ではないので、いろいろ無茶なことを言ってしまうかもしれないのですが、なにとぞお許しください。

日経ヴェリタスに出ていた竹田和平さん(タマゴボーロで有名な竹田製菓の会長)のお話。著作権の関係もあるのでそのまま持ってこれないのだけれど、見られる方はぜひ見てほしいです。価値観として、ワタクシの心にすべてストンと落ちる
「株価の数字は幻」まったくそのとおりだと思います。その株価を追っかけてあがるか下がるかによって(つまり株価の上下によって)利益を求めるのが「投資の劣情」だと彼は言います。。「投資の劣情」なんてうまいこと言うもんですね。劣情なんてなかなか若い人に理解してもらえないから、今風にいうと、スケベ心とでも言ったほうがいいのだけれど。

投資とは「資を投げること」。投げたら後は気にしない(まあ実際はそんなことよほど余裕がないとできないけれど)。収穫を求めて畑を買ったら地価の上げ下げを気にせず長期的な収益を取り込む、これが投資。収穫とは配当である、値上がり益を狙うのは投資ではなく投機である、と哲学が明確です。(投機を否定しているわけではないと思いますが)。

「貯金に置いているお金は単なる通帳の数字だけれど、株式市場に投げたお金は会社を通じてグルグル世の中を回る。」

「自分の資を投げて、その循環のシステムに乗せるときに、何を一緒に乗せるか?目的が大事だで。結局、「投資」の真の目的は、会社を育て、経営者を育て、人を育てることだがね。」

いやー、良いことおっしゃいます。短いフレーズの中に真理がちりばめられています。

一方で、以前ヴェリタス紙が彼の保有株一覧を載せたことをちくりと刺して、「わしは“投資の真理”を語りたい。ヴェリタスって真理のことだがね。」突っ込みもなかなか。

偶然でしょうけれど、これに関連して、京都大学の川北教授(元大手生命保険会社の企画畑の方)が金曜日の日経の経済教室に興味深い寄稿をされています。タイトルは「長期的な投資家層ふやせ」。趣旨は、本来長期的な投資家としての役割を担うことが期待されている年金などの機関投資家が、「市場のムードに流され、株価の変動に追随する傾向が強かった」ことにより、短期的な投資家に対抗する投資家層が希薄となり、株価の変動を高め、さらには「企業が短期的な投資家に迎合する」というゆがみを生み出している、というものです。

日本の持ち合い構造が反対側で長期投資を支えてきた結果が閉塞感や不正の温床につながった反動で、世界の潮流に従い、株式の時価評価が当然になり、従来の機関投資家としての銀行や保険会社が今後株式の長期保有をあきらめざるを得なくなる可能性が強くなっています。しかし、日本の場合、銀行の金融機関にこれだけ貯蓄がたまり、保険会社が終身保険や年金などの長期貯蓄性保険を販売し続けている以上、これらの主体が長期投資家としての役割を完全に失っているわけではないのです。これらの層に対する長期保有の「ディスインセンティブ」も本来は原因のひとつと見るべきでしょう。

もちろん本来の保有主体として期待されるのは年金などの資金であり、また裕福な個人などの主体ですが、現実には、年金基金の管理者も短期的な収益を気にせざるを得ないのです。それは自分のパフォーマンスが短期で計測されているから。その結果現場でどういうことが起きているかというと、どんなに相対パフォーマンスが良くても短期的にマイナスになれば結構怒られるし、逆に相対パフォーマンスが悪くても今年の前半みたいにプラスが大きければ、ミンナニコニコしているという事態が生じるのです。極端な差が出ていれば別ですが、多少のことでは個別企業について、選定で努力しても報われず、結局は株式市場全体のパフォーマンスで気分が決定されている。これでは長期保有のインセンティブは沸きにくいですね。

というわけで、川北教授の指摘どおり、「本来」の長期保有主体にインセンティブが少なく、また「現実」の長期保有主体(つまり銀行や保険)にたいする長期保有の「ディスインセンティブ」が働いている以上、日本には本当の意味での長期保有主体が育たないのです。

「現実」の長期保有主体にディスインセンティブが与えられることになったのは、それはひとつにはリスクバッファー(つまり資本)の少なさであり、もうひとつは長期保有主体としてきちんと企業ガバナンスにかかわってきたのか、という疑問であろうと思います。まず、リスクバッファーについては、確かにこれの厚みがあれば、株価の多少の変動に耐えられるのですが、基本的に今のルールは株価は基本的に時価評価し、さらにリスクバッファーが株価下落で圧縮されることでリスク資産を落としていくという行動を強制するため、実際は相当余裕がないと腰をすえて構えていられないようです。企業ガバナンスの問題も、持ち合いというのがかなり純粋な投資判断を無視した部分があり、その結果経営者の不正や安易な経営を許したこともあっただけに、なかなか世の中を説得するのは難しかったと思われます。

しかし、あえて暴論とわかって言わせていただくと、本当に長期保有の仕組みが重要だと思うのであれば、こうした問題点を力技で解消し、現実の長期保有者に保有させ続けることもひとつの解決策であろうとおもいます。たとえば、株式は基本を原価法とし、必要な場合に減損会計で処理させる。そのかわり、上場株であってもいい加減な保有は認めず、毎期きちんとした査定による価値の裏づけを示させる。投資家として企業やその経営をどのように評価して保有しているのかをきちんと示させる。まさにこのプロセスがガバナンスそのものとなるわけです。もちろん、市場価値ベースでの時価情報の開示はやる必要があります。むしろこうやれば、プロであるはずの機関投資家の見方と市場価値との乖離を明らかにすることができ、株式市場の下支えとなることもあるでしょう。

今の資本市場の誤ったドグマのひとつは、市場で値段が付いたものはそれが絶対価値を示していると擬制していることです。まさに竹田氏のいう「幻」に振り回されている。市場というのは「たまたま」売り手と買い手が出会った場所に過ぎない。本当の価値は必ずしもそこにはない。長期保有というのはそういう前提からしか出発できないはずだとおもうのですが。

竹田氏のコメントを再度引用しますが、これこそ市場というものの真実を鋭く突いていると思います。彼は株式の銘柄選びについてこう語っています。
「人と同じ銘柄を後追いで買っても、その人と同じ価格で買えんかったら意味ないがね。」
結局、株価というものが常に公正価値を表示しているわけではない、ということの別の言い方ですね。

しかし、結局経済に成長が見込めなければ、そもそも長期投資など意味ないのでは、という疑問も生まれそうですね。川北教授はこの点にもちゃんと答えてくれています。

「市場の平均値で長期投資の是非を考えるのは不適切だ。つまり、インデックスに基づき、株式に長期投資すべきではない。」

イイハナシダナー・・・

(追記。これもまた偶然だろうと思いますが、最新号の証券アナリストジャーナル2009年9月号は、年金の運用のあり方(基本ポートフォリオ(政策アセットミックス)について)の根本的な問いかけが特集されています。その中の「証券アナリスト読書室」ではロバート・D・アーノット氏らの書いた「ファンダメンタル・インデックス」という本が紹介されていて、これによれば、これまでの時価総額ベースのウェイト付けされたインデックスではなく、売上げやキャッシュフローなどの企業の経済規模などに基づくファンダメンタル・インデックスの採用が提案されています。これは客観的なデータに基づくインデックス化を放棄していない点はパッシブではありますが、データの中により企業の優劣みたいなものを組み込んでいる点で経済へのポジティブな関与が見られる点、興味深いと思いました。)

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
拝見して、マルクス主義の考え方だなあ、と思いました。資本主義の根幹である金融産業からこのようなご意見がでることが興味深いです。

市場価格と、労働に代表される実質的なコストの差異を力説されているところが、何ともマルクス的です。これで、市場価格と要素価格の差異が搾取だと進めれば完璧でしょう。

まあ、「投資は失敗した投機である」という言葉に思わず納得する愚か者のたわごとではありますが。
山下
2009/09/01 04:08
この文脈で区分けすれば投機家である私には、
今回のエントリーには違和感がありまくりです。
ヴェリタスの記事も読みましたけど。
もちろん、
>>あえて暴論とわかって言わせていただく
ということですので、
私なんかが考える事は委細すべて承知の上で書かれているんだと思いますが。
金融のプロである方が、このようにお考えである事に正直ちょっと驚いております。

39歳無職
2009/09/01 07:00
山下さんコメントありがとうございます。う〜ん。マルクス主義という言葉が出てくることはちょっと意外でした。市場の存在を否定しているつもりはなく、資産評価の財務諸表への反映の仕方を議論しているつもりなんですが。株式の公正価値は市場価格であったりキャッシュフローなどからの分析から導かれる理論価格だったりします。IAS39の改正案でも、市場性のない株式にも「公正価値」をつけることになっていますが、この場合自分で査定するしかありません。現状の国際会計基準がマルクス主義に向かっているのでしょうか?すみませんワタクシは宗教にうといのでマルクス主義をきちんと理解していないと思います。

39歳無職さん、どうもです。竹田さんも投機そのものは否定されておられないと思います(自分はそういうことはしたくないといっているだけだと思います)し、ワタクシも投機については流動性を供給するものとして否定しません。ただ、健全な投機?が成り立つためには健全な市場ときちんとした経済の基盤が必要です。経済の基盤を育成するために長期投資という根っこの存在が必要なのだと思います。ここでは、その根っこの部分が最近あまりに軽んじられていることへの疑問が提示されていると思います。
厭債害債
2009/09/01 08:44
>>その根っこの部分が最近あまりに軽んじられている
普通の一般投資家(投機家)がここで言われるところの「投資」をしたくなるには、投資される企業側が、そうしてもらえるだけの経営をした上で、きちんとそのPRをしてもらわないと無理なのでは?
特に今のような経済状況ではそう思います。
竹田さんのような方が、まるでタニマチのように振舞われている(失礼!)のを賞賛されても、普通は真似できませんし、下手に真似をすれば火傷をするのではないでしょうか?
私などは、むしろ理想化され過ぎているように感じてしまいます。
39歳無職
2009/09/01 20:00
かなり考え方の分かれるところなのでしょうが、私は害債さんと同感です。
上で、”金融産業から〜”とのコメントがありましたが、個人的には、金融業こそ根底でこのような考え方を取り入れることが必要なのではないかという気がします。勿論、大部分の金融機関の企業との関わり方は株主とは違う立場ですし、営利企業ですからそんな事言ってられないという局面は多々あるでしょうが…
みほのぶるぼん
2009/09/01 20:24
39歳無職さん、どうもです。やはり「投資」というのは他人勘定かそれなりの自己資本(余裕)が必要なのかもしれないですね。ワタクシは企業の多くはそれなりの経営とPRをしていると思いますが。
みほのぶるぼんさんどうもです。なかなか金融と事業会社との付き合いは多種多様で難しいですが、本来脇役であるべき金融がそれなりの立場を果たすためにも、長期投資ができる条件が満たされるべきだと思います。
厭債害債
2009/09/01 23:32
どういう目的で投資するのか、当然人それぞれでしょうが、往々にして運用を職業としている人は、普段の投資判断基準からは離れて、社会的貢献や夢、想いというようなものを込めて資を投ずる、なんてことをやってみたいという、これまたロマン?妄想?をいだいてみたくなるのではないでしょうか。僕も機関投資家として是非やってみたい(笑)。でも、これはうちの家内が、「株主優待が楽しみ」っていう理由だけでわりにあわない投資を続けているのと、本質的には同じでしょう。いいことだと思います。何が幸福かは人それぞれです。パトロンがいてはじめて文化が育つでしょうし、通常の投資回収期間を超えた長年の研究投資が実って世界に大きな付加価値(株価や配当としても)を生む技術革新が出てくるかもしれません。ただ、そういう投資判断は、経済合理性を追求することをミッションとする組織の意思決定にはむかないのが事実です。(そいつがビューティフルにできたら宗教かも!)美人投票の結果予想を仕事にするより、自分のほれた女と泥沼人生を歩む方が幸せかも。
おみすけ
2009/09/02 06:01
おみすけさん、コメントありがとうございます。おっしゃる通り、現実の制度の中では理想を追い続けることは難しいのですが、仕事のなかで理想を求めなければ我々はいつ理想をもとめるのでしょうか?
厭債害債
2009/09/03 00:20
精神論としてのマルクス経済学は常に人の熱情を動かす。冷徹な数学の世界に人々は住めない。そこは魑魅魍魎の巣くう世界です。魑魅魍魎がアンダーグラウンドにいればよいのだが、これが国家、社会レベルで出て害を及ぼせば、それは公共的使命としては看過できないのでは。機関投資家は、その運用担当者は一個人でありながら、また社会公共性を求められ立場。なので運用(ここでは財政投資を含めた広義の意味ですが)に対しては常に二重人格であり続け、精神的な脅威を常に受け続ける存在(特に会計処理が短期化すれば、夜も眠れぬトレーダーと一緒)。
個人投資、資産家は簡潔した主体とはえらい違い。ちなみに合理的個人など、この世には存在しないし、経済合理性は常に経済外的?脅威にさらされている、なので存在しえない主体を前提としたいわゆる経済学な何かと問い続けています。
マル経を馬鹿にすることなかれ
2009/09/03 21:29

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