厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS リスク管理の憂鬱

<<   作成日時 : 2012/05/15 17:06   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 26 / トラックバック 0 / コメント 3

 JPモルガンの損失事件が市場を騒がせているようです。(例えばhttp://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C9381959FE3E3E2E3E78DE3E3E2E7E0E2E3E09790E0E2E2E2
その損失額自体はJPモルガンの体力からすればたいしたことないといえそうですが、二つの点でこの事件はワタクシにとって憂鬱です。

 ひとつはこの事件が「規制反対派」とりわけボルカー・ルールに対する反対の急先鋒ともいえるジェミー・ダイモン氏率いるJPモルガンで発生したことです。端的に言えばボルカー・ルールというのはつぶせないような巨大銀行すなわち「too big to fail」の対象となりうるような金融機関に対し自己勘定でのトレーディング(リスクテイク)を厳しく制限しようというもので、今回の事例がまさに「自己勘定でのヘッジ(と称するトレーディング)」での損失事例なだけに、規制促進派にしてみれば「ほれみたことか」ということになるのでしょう。本来的にはそれでも損失が企業存続にほとんど影響がないレベルであったことはむしろ評価すべきなのかもしれませんが、この点は次の論点に関わってきます。

 もうひとつは、今回の事例がどうやら「リスク管理の失敗」、もっといえばもしかしたらVaR(ヴァリュー・アット・リスク)の計算間違い(というか前提の置き違い?)に基づくものであったことです。しかも自分たちがかつて画期的なリスク管理ツールとして開発したVaRの問題だったということが痛いわけです。

 ここでちょっとVaRについて説明します。多くの方々には当然の知識でしょうから以下は読み飛ばしていただいて結構ですが、VaRというのはもともとJPモルガンがリスクメトリックスという登録商標で90年代初めに開発した管理手法です。それまではリスク管理といえばバンカーストラストなどが使っていたRAROC(リスク調整後自己資本収益率)がようやく市民権を得てきたところで、ワタクシの記憶違いかもしれませんが、RAROCも基本的にbpv(ベーシスポイントヴァリュー)をリスク量として使っていたように思います。bpvというのは例えば非常に単純にイールドカーブが10bpパラレルにシフトしたときに財務にどのような影響が出るかを分析するものです。固定金利資産以外のものについても相関などから感応度を算出して金利に置き換えることで、扱いやすくしていたと思います。(本当はもっと複雑なのですが、取り敢えず単純化させていただきますね)。

 JPモルガンのリスクメトリックスは、金利というファクターに集約せずに様々な資産クラスのリスクをそのまま落とし込むものでした。すなわち各資産の変動の可能性をヒストリカルなデータなどから分布として捉え、それらの相関によって例えば今後10日間とか1年間という当事者が決めた期間の中で95%の確率で発生する分布のレベルを捉え、その中で最も悪いケースを期待損失の上限と捉えるものです。この95%という数字は「信頼区間」といわれ、当事者がそれぞれ決めるのですが規制ベースでは95%あたり、各会社の内部モデルではもっとたかい数値が最近では使われているようですね。95%というのは裏からみれば5%の確率で期待を超える損失が出るということであり、よく言われる「何十年に一度しか発生しない」というのはこの数字を言い直したものです。つまり5%というのは20年に一度、1%なら100年に一度です。99.9%だったら、要するにそこで計算されたリスク量(期待損失)を越えることは1000年に1回しかないという理屈になります。実際厳格化の動きはあって、欧州のソルベンシーIIでは99.5
%といったレベルですが、日本の保険会社で出しているソルベンシーマージン比率などは23年度決算から完全適用される新基準でも95%での計算をベースにしたリスク係数になっているのですね。これももしかしたら欧州の方向に鞘寄せされる可能性もあります。

 しかしこの数値は厳しければよいというものではない、と個人的には思っています。厳しくすればするほど当然のことながらリスク量(期待損失)が増え、その分企業(金融機関や保険会社)は自己資本を厚くしておく必要があります。つまり資本調達をがんばったり貸し出しやリスク性資産への投資を絞ったりするわけで、これが極端にすすめば、まさに金融機関がリスクを取れないことになります。実際金融危機が起こるたびにBISなどの規制のほうが厳格化していくため、金融機関のリスク回避的行動(持ち合い株の売却、貸しはがしなど)がすすんでいることが、ある程度今の状況を生み出しているといったら言いすぎでしょうか。95%というのがかつて大体の標準だったというのも、まさにその辺の兼ね合い(大人の判断)ではないかと思うのですが、どうも周りを見回すとやたら厳格化することがすばらしいみたいな勘違いしている人々が多いので困ったものです。この点は(特に金融市場の)リスク管理の本質に関わる点なのであとでまた書きます。

 さてJPモルガンの話に戻ります。
もともと、VaRというのは相当に限界のある計算手法で、そもそも(限られた期間の)ヒストリカルなデータを使って分布計算をしてそれに基づいて算出しているのだから、期間の取り方、その期間におけるイベントの有無、あるいはデータの取り方でかなりゆがんできますし、大体において正確なデータや流動性を加味したデータが何十年にもわたって取れないのだとしたらそもそも使える代物ではないと思います。さいころを振り続けるなどといった試行で、無限大にやればきれいな分布が描けるようなものについては、VaRというのは十分な根拠があるといえるのですが、こうした事前確率で測れるような分野ではないのが金融市場なのです。市場で観察される価格というのは、流動性も含め「人」の活動の成果物です。人の行動が完全に予想されすべて確率的に分布を描けるのなら、市場価格についてVaRを信頼してもいいのですが、現実は違うはずです。今回問題になったのはIG9というCDSインデックスのskewを取りに行く取引みたいなことをやっていたのではないかということですが、これほど歴史の浅い(そして多分価格形成が十分流動性をもって行われているとはいえない)ものについてVaRで計測していたのでしょうか?メディアによると、どうやら計測によって示されていたVaR値は過去にさかのぼって誤ったものであったことをJPモルガンも認めており、実際の数値は2倍近かったとか。

 これが単なる「計算間違い」ならいいんです。計算式をちゃんとすればいいのだから。問題はこれが「本来計測不能なものを計測可能だと強引に仕立てた結果」だったのではないか?すなわちVaR計測の有効性の本質的な議論につながらないか、ということです。実際のところ、今回の事例は、発生した市場が限定的でその大きさを考えればこれは明らかにかなりの特殊事例です。また昨年初めにJPモルガンがVaRを新しいモデルにバージョンアップしていたことも原因ではないかとも言われているのですが、ただやはりFTを代表とする煽り系メディアではこういう事例をVaRが「完全に」意味がないという風に断定してしまいがちです。残念ながらいまVaRに直ちに取って代われる手段が確立していない。これを無効化したらまたいろいろ一からやり直しになります。これが2番目の憂鬱です。

 VaR計測は取り敢えず複合的なポートフォリオにおけるリスク量を目に見える形で示せるという点で画期的なものでしたが、もちろんリーマンショックなどでもその限界は多くの人々から指摘されてきました。しかし、ほかにこれに代わるすばらしい「可視化ツール」がなかなか見当たらないのが実情です。だからこそこれが金融でのスタンダードであり続けているわけです。しかしながら、もしかしたら今回の事件をきっかけに、もっと素直に「不可知」を不可知として率直に認める動きが出てくるのかもしれません。それは別の言い方をすれば、VaRをベースに行う自己資本管理の限界であり、もっと定性的な部分を重視しなければならない、ということになればそれはそれで意味のあることかもしれません。もともと、いわゆるERM(企業の統合的リスク管理)においても事業会社と金融機関ではかなりアプローチが異なり、金融機関はより定量化することが「美徳」という風潮があったように思いますが、それは扱っている商品が「カネ」だから定量化に非常になじみやすいというだけであって、実際事業会社などではもっと広い意味での事業リスクという観点でERMにアプローチしている。金融機関においても、これまでの定量偏重ではなく、定性重視を進めるべきだと思います。ここでいう定性とは監督側から見たリスク・ガバナンスとかそういう形式ともまた異なる、なんていうか現場の人間の資質みたいなものです。とはいえそれを外形的に担保する監督側の見方は結局ガバナンス体制ということになるんでしょうが。)

 ワタクシが過去に散々批判している格付会社ですが、この自己資本モデルと格付という観点では意外に柔軟で物事を良くわかっている会社が多いと思います。例えばS&Pは有名な自己資本モデルがありますが、定性部分による調整が極めて柔軟です。これはある意味正しいアプローチだと思います。企業のサバイバル能力というのは、もちろん自己資本は厚いほうが高いに決まっているのですが、取っているリスクに対してどのようにすばやく行動できるか、という面が大きい。リスクの存在にきづかずに漫然と行動を続ければ、かつて逆ザヤの貯蓄性商品を売り続けて優良企業から一気に破綻への道をたどった日本の保険会社の轍を踏むことになります。定量的、断面的なリスク量の計測ももちろん今のところほかに代わる数字がないという意味で使い続けることになるのでしょうが、それ以上に「リスクに対する気づき」「新たなリスクに対する心と行動の備え」といった要素がもっともっと評価されるべきでしょうし、そもそも「そのリスクをとることの企業文化(あるいはその企業の社会的価値)との整合性」みたいなものが、経営レベルはもちろん、現場レベルできちんと出来ているのかどうか、という評価が重要になってくるように思います。

 新たなリスクに対する備え、と書きましたが、監督サイドでも「エマージング・リスク」という表現でいろいろ気をつけるように指導しているようです。でも、すでに財務に影響を与える市場や本業の多くの重要なリスクファクターは大体把握してリスク管理に取り込んでいるところが多い。だから、ここから先のエマージング・リスクといわれると、いきなり福島原発がすべて大爆発して東京にも住めなくなるとか、いきなり北朝鮮の核ミサイルが首都を直撃するとか、そういうレベルの話になってくるわけで、そうした状況を想定して一定のシナリオを作りストレステストなどやろうということになりますと、担当者としてはこれからホラー小説とかSFとかを書ける作家としての能力も要求される時代になってきているのではないかと思う今日この頃です。

冗談はさておき・・・

 話を戻してまとめます。
今回の事件の結末として一番まずいのは、更なる規制強化。そしてこの事件の反省を生かす最も望ましい方向は、リスク管理における定性要因の更なる重視です。少なくとも金融市場のリスク管理のVaR信頼水準の厳格化で状況がよくならないということを多くの人が理解して、その上でまた屋上屋を重ねるようなCVarとか期待ショートフォールとかに盲目的に頼るのではなく、より定性に着目するようになればそれはそれで意味のあったことではないか、と思います。つまり金融の世界では、履歴書や学校の成績表より相手の顔や言葉をきちんと見たり聞いたりしろということです。

 ところで今回の事件のもうひとつの(そして最大かもしれない)教訓は、損失を出したロンドンのトレーディング担当者が「ロンドンの鯨」といわれるような巨大な存在になってしまっていたことです。もともとそれほど大きくないCDXマーケットで自分自身のトレードで市場の価格が大きく動くような、そういう存在になってしまっていた。そうなってしまっては、手口は完全にばればれで他の市場参加者からの余計な干渉を誘発するでしょうし、そもそも一定の価格で取引が出来るという前提が成り立たなくなりますから、もはや定量的な「リスク管理」はきわめて困難となります。つまりこれらのポジションの解消には「想定外」の困難とロスがつきものである、ということで、関係者にとって肝に銘じるべきことでしょう。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
VaRの計算ミスや自己ポジションの肥大化が理由なら、それらを正しくモデル化できなかったことが誤りの根本であって、定性的なものに頼ればよい、ということでもないでしょう。定性的なものこそ、主観によって変化するところが大きいのですから。
とある投資家
2012/05/16 13:31
経済取引事象を、自然科学のように扱うモデルに無理があるのでしょう。しかも、自然科学の事象ですら計量モデル化は不可能でしょうし(東北沖地震が同じ規模でまた起これば、100年に一度の…は通用しないように)。
定性的な観点に立ち返ることができれば意義はあるでしょう。どうんなに理論を組み立て高等数学を駆使しても儲かる儲からない、安全・危険などは分かりっこない、との観念を持てるようになれば人類はひとつオリコウになると思います。
1日でも早く、金融屋が所詮ヤマ師でしかないという当たり前のことが常識となり、優秀でまともな若者が目指すべき職業ではないという風潮なればいいですね。
コナン
2012/05/16 18:56
初めまして。いつも拝読し、勉強させていただいてます。
定性評価の拡大の重要性については理解できましたが、同時に恣意性の入り込む余地も拡大するわけでそのあたりのバランスが非常に難しいのではないかと思いました。
やはり"人格者"頼みになってしまうのでしょうか。
チルダ
2012/05/17 11:46

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