厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS コーポレート・ガバナンスを支える主体(私的「暴論」)

<<   作成日時 : 2015/11/05 19:39   >>

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11月号の証券アナリストジャーナルの特集記事は「ガバナンス改革次のステップ」と題して、錚々たる業界や学会の方々が寄稿されています。興味深い論考ばかりで、非常に勉強になるのですが、ワタクシのこれまでの根本的な疑問は解決されていないようです。その疑問とは、投資家というカテゴリーにおいて「どのような投資家がどのような形でコーポレート・ガバナンスを担っていくのか」という問題です。特に株式運用の受託者のスタイルがアクティブかパッシブかという点と絡めてまた繰り返しになりますが問題提起してみたいと思います。

本来これらの取り組みはアクティブであってもパッシブであっても株主である以上変わらないはずですが、世の中的には何となくアクティブマネージャーがやればいいと思われている節はある。たとえば年金情報690号(2015.11.2)の「日本版スチュワードシップ・コードとマネージャー選択」という記事はある年金コンサルティング会社の人が書かれていますが、スチュワードシップ責任の「別扱い」として「パッシブ運用が分別の対象であることは比較的明らかだ」とされています。

しかしそこに書かれている理由は全く説得力がありません。「「深い理解に基づく建設的な」対話は、企業ファンダメンタルズの徹底したリサーチが前提であり、これは大きなコスト要因となるため、低コストが眼目のパッシブ運用には求めるべくもない」と書かれているのですが、これはスチュワードシップ責任の議論を全くあべこべにとらえているとしか言いようがありません。なぜなら、日本版スチュワードシップは少なくともアベノミクスから導かれていて、アクティブかパッシブかは、いずれも日本企業のROEを上げていくという責務を負う点では株主である以上その責務に変わりはないといえます。ポートフォリオの作り方が機械的だから、ルールベースだから、という議論から「投資戦略の主目的が投資先の企業価値向上だけではない場合」はスチュワードシップ責任や議決権行使の高度化から逃れられると考えるのは、機械的にでも株主であるという事実がスチュワードシップ責任の根拠であることへの洞察が全く欠けているとしか思えない。この立論がただしければ、機械的に企業に影響力を及ぼせるような株を買うファンドも何もしなくてもいいことになるけれど、そういう大株主が何もしなくていいなんてことはあり得ないのです。議決権行使についてはパッシブも当然やるでしょうが、やはり全部いちいち見るのは大変なので、ISSのような議決権行使アドバイザーと契約して彼らの基準にゆだねる(多少カスタマイズするとしても機械的な判断にはならざるを得ない)ことになる。むしろパッシブこそその企業がベンチマーク構成企業である限りにおいて保有し続ける必要が(原則として)ある、という意味で長期保有主体であり、アクティブよりスチュワードシップ責任をきちんと行わなければならないし、議決権行使において深度ある精査を行わなければならないはずです。当然ESGについてもしっかり考慮してスチュワードシップにつなげていく必要があるわけです。

逆にアクティブ運用というのは、好ましくない企業は「売る」「買わない」でよいわけであり、その売買行動を通じての圧力をかけているという点で議決権行使やスチュワードシップ活動に代えているという見方ができるはずです。にもかかわらず世間的にはアクティブマネージャーがちゃんとその辺の責任を果たし議決権行使もきちんとするということを求められ、パッシブマネージャーがサボっている状態が続いている。そもそもパッシブ運用がこれだけ巨大になってきているのに、そこがちゃんと行動や対話をしないとコーポレート・ガバナンスなんて所詮絵に描いた餅でしかありません。

これも以前書いたことの繰り返しになりますが、そんなパッシブが手数料の分だけアクティブよりパフォーマンスがいいので、アクティブマネージャーたちは「タダ乗り」という呪詛を吐くのです。アクティブはもちろん企業調査をきちんとするからこそコストがかかるわけですが、今回のようにマクロ的な視点からのアプローチによってスチュワードシップ責任とエンゲージメント、議決権行使への取り組みが見直されているとすると、パッシブ運用はむしろアクティブ運用以上にそれらに対する取り組みが必要になってくるのだろうと思います。ワタクシはその意味で、今回のスチュワードシップ責任やエンゲージメントや議決権行使の枠組みの見直しが、運用全体を覆う考え方に変化をもたらすのではないか、というか変化が必要だと考えているわけです。

表題の問題すなわち「企業のコーポレート・ガバナンスをどのように株主として見ていくか」は、長くじっくり付き合う主体がスチュワードシップ責任との両輪で、議決権行使の在り方を含めて真正面から取り組むべきだと思っています。その「長くじっくり付き合う主体」の例でわかりやすいのはいわゆる「政策保有」株主でしょう。つまり企業体企業の取引関係で株を持ち合っていたり、ある種の契約の見返りとして株を保有していたりする株主です。基本的にほかの経済的効果の見返りなので、それが存続する間は株を売れないという意味で「じっくり付き合う」必要があり、長期保有となる可能性が極めて高いです。それと同じ意味で株主総会でも会社側との間のコミュニケーションをしっかり取ってしかるべき反応を示すことになります。それがいい加減だったのが過去の日本の社会でした。

いまや、政策保有に関しては社会の目も厳しくなり、金融機関も政策保有についての説明責任を求められる時代です。まさにスチュワードシップ責任をどう果たすか、議決権行使の場でどのようにふるまうかについての説明責任です。ちょっと強引かもしれませんが、企業の経済価値評価だけでは「売れない」「保有しないという選択肢はない」という意味でパッシブ運用も政策保有に似ているところがあります。であれば、今のアベノミクスのように運用者やアセット・オーナーからのエンゲージメントを通じてガバナンスや企業行動に働きかけて経済に正のフィードバックをもたらすことを目指す社会においては、パッシブ運用の主体こそが、強力なステークホルダーである政策保有者と同じように、そういったスチュワードシップ活動やエンゲージメント活動において中心的な役割を担うべきであるし、議決権行使においても企業行動に本当に意味のある働きかけができるように、企業の議案を精査していかねばならないと思うのです。パッシブだからと言ってただ漫然とベンチマーク構成銘柄を比率通り持ち続けることが許されない時代、その保有の仕方に伴う社会的な責任をきちんと負担すべき時代が来ているのではないかと思うのです。

ここからはちょっと暴論に入りますが、もっと言わせてもらえば、こういうことに無駄なコストをかけないで、株式運用をやればいいじゃないか、ガバナンスの要素やスチュワードシップの要素などが重要で議決権行使により株主がきちんと企業を見ていくことが重要だとしても、それは判断の枠組みさえしっかりしていれば、銘柄選択による入れ替えで対応できるのではないか?それによる淘汰によっておのずと社会厚生が増すのではないか、とさえ思うのです。コーポレート・ガバナンスが社会として必要なことであると言い切ってしまうと、パッシブというのは目が行き届かず他人任せの議決権行使をするから社会にとってむしろ有害なのではないか?という疑問があります。

ここまで来てようやくワタクシの言いたかったことが見えてきました。「指数」なんてやめればいいのです。あんなもの百害あって一利なしなのです。東証株価指数は東京証券取引所一部上場全銘柄で構成されていますが、上場要件は規模、流動性といった外形要件が中心であとはネガティブな要素がないことだけです。要するにでかい会社ならまず入りたければ入れる。もちろんそういう会社のビジネスが日本経済に与える影響は大きいことはもちろんだけれど、非上場という選択肢もあるから、経済そのものとは違います。要するに大企業ならその意思で入りたければよほどのことがなければ入れるのがTOPIX指数だから、会社がいいか悪いかはほとんど顧みられない。TOPIXという指数はそういうテキトーな存在であるということを忘れてはならないのです。

ここでふと気になったのが郵政グループ3社の新規上場。おそらく年末ごろには指数に加えられることだと思います。今回巧妙だなと感じたのは、機関投資家への売り出しを極力抑えて個人投資家向けに主にIPOしたこと。そして一方で年末には指数入りすることが確実だとすれば、初値が高かろうが安かろうが、そこから年末までのどこかで、パッシブはもちろんトラッキングエラーを低く設定するアクティブも市場で買いに行かなければならない。某MS信託で3社の株だけ買う投信なんてすでに設定しているようですから、これなんかお金集めた分だけすぐに市場から買わなければならない。これもパフォーマンスの比較対象を郵政3社の値動きの指数としているから、運用者としてはお金が入った瞬間、負けないように自動的に買うしかない。この辺の合わせ技でしばらくは値もちがいいはずで、そうこうしているうちに追加放出のタイミングで政府はきちんと高値で売りさばける、そういう算段だろうとおもいます。あるいみ指数とそれに連動して投資するという仕組みを需給コントロールと組み合わせればこういうことが出来てしまう。PEは高いのに配当利回りは高いという安いんだか高いんだかよくわからないような企業の株が大人気になるわけです。指数の存在が真っ当な投資行動をゆがめる可能性があります。

なんだか取り留めもない話になりましたが、スチュワードシップ責任、議決権行使の精緻化、ESGといったことを通じてコーポレート・ガバナンスにむけての投資家からの責任という考え方が明確になってくれば来るほど、実はこれまで常識だと思えていた部分(たとえばパッシブは手数料が安い)がそれほど当然ではない可能性があることに気が付き始めるのではないか、ということです。

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