プラザ合意30年(回顧モード)
今朝のえねーちけーニュースでやっていました。会社に入って間もないころに体験した・・・といっても当時は全くと言っていいほど何が起こっているのかよくわかっておらず、その後周りでなんちゃらルールとか評価損とかいろいろな会話が飛び交い、じわじわと事の重大性がわかってきました。期末にはポートフォリオの為替の評価をひと銘柄ずつ時価に洗替える作業をやって、残業など全く平気な体作りができました。そして、その後の大胆な金融緩和でバブルが生まれ、ジュリアナ東京の映像を見て女の人の怖さを思い知り、ノー●ンしゃぶしゃぶ接待でワタクシの先輩の一人がその後厳しい会社人生を歩み、ワタクシはバブルのピークでお家を買ってしまい・・・と、ワタクシの一生に重大な影響を及ぼしたイベントでした。
まあ若い時にこういう体験をしておけば(ワタクシはそれ以外にもブラックマンデーも若い時にかぶってますし)、大概の事には達観した対応がとれるようになるものだと思います。要するに「制度的に無理をしてもいつかは崩れる」、「人の行動は常にトレンドフォロー」、「データも重要だが人の心理のほうが市場的には重要」といったことです。
ところで、件のえねーちけーニュースで流れていた映像では、受話器をつかんで株価ボードの前で大声で手振りを入れて話す為替ディーラー?の映像が出ていましたが、テロップ表示は昭和62年。あれ?まあブラックマンデーにつながったと言いたかったのかもしれませんが、プラザ合意は昭和60年です。
まあ若い時にこういう体験をしておけば(ワタクシはそれ以外にもブラックマンデーも若い時にかぶってますし)、大概の事には達観した対応がとれるようになるものだと思います。要するに「制度的に無理をしてもいつかは崩れる」、「人の行動は常にトレンドフォロー」、「データも重要だが人の心理のほうが市場的には重要」といったことです。
ところで、件のえねーちけーニュースで流れていた映像では、受話器をつかんで株価ボードの前で大声で手振りを入れて話す為替ディーラー?の映像が出ていましたが、テロップ表示は昭和62年。あれ?まあブラックマンデーにつながったと言いたかったのかもしれませんが、プラザ合意は昭和60年です。
この記事へのコメント