厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS 一体何なの?−本日の日経新聞「経済教室」

<<   作成日時 : 2006/11/01 21:37   >>

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そもそも言論は自由だし、誰が何を言ってもかまわないし、間違った内容でなければ非難されないのだが、常識的には全国紙のこういうコーナーで開示される意見というのはそれなりの新規性、専門性あるいは説得力みたいなもののひとつぐらいは必要だと思う。独り言なら、こういうブログなどで書いていればいいわけだし、現にほとんどの人はそうしている。
ところが日経新聞と東大の教官というのは最近最悪の組み合わせのようで、今日の記事にはさすがの私もどう反応していいかわからなかった。

まず大見出し、中見出しあたりでなんとなくいやな予感はした。「安易な規模拡大は禁物」「収益性に目向けよ」「マネジメント能力重要に」。なるほど、全部そのとおりです。だからどうなの?何が言いたいの?と思って本文を読んでみると・・・

いきなり「時価総額の高い会社は企業価値の高い会社といえるか」というイマドキ誰も考えてもいない論点が出てくる。もう出発点からしてはずしているのだが、「株主にとっては投下した資金に対しどの程度リターン(収益)があるかが重要であり、会社全体の総額として大きな時価が得られても、それは適切な指標にならない」という、時間の観念をまったく無視した主張が出てくる。
まずここでコメントを加えると、株主は投下した資金が株価上昇によって会社の「時価総額」が大きくなることで利益を得るのだ。この論文?の最後の結論は企業が「やるべきことは規模の拡大ではなく、株価を高めるような工夫と努力である。」と臆面もなく書いているけれど、株価が上がると時価総額が上がるという仕組み、果たしてご存知だろうか?努力して株価を上げ時価総額を上げたら株主にとってメリットになるのだが、それは適切な指標ではないということか?

まあ私も株価が決して適切な指標だとは思っていないので、その点は譲るとしよう。しかしそれについで「企業が重要視すべきなのはどれだけの資金を集めているかという規模の問題ではなく、集めた資金に対してどれだけのリターンをあげているかという収益性の点である」ときた。それでは聞きますが、この筆者がインタビューした会社の経営者の中で「収益性を重視していない」「規模だけが重要だ」と答えた人がどれだけいたのでしょう?(多分ほとんどインタビューしてないでしょ?)。ここに書かれていることは民間企業では平社員ですら当然のこととして認識されていることだ。もちろんその後に書かれている「ステークホルダー(利害関係者)の利益を含めて」という点でもよほどの家族経営的中小企業ならいざ知らず、普通の企業なら当たり前のこととして意識されている。一体誰に向かってこの主張を伝えようとしているのだろうか?

「わが国では「大企業」「中小企業」という言葉が使われ、大企業のほうがあたかも優良な企業であるかのように見られる場合が少なくない。時価総額や資産規模、シェアなどで企業がランキングされることもしばしばある」ということは事実だが、いきなりそこからつづけて「これらの指標は企業価値を測る尺度としてはあまり意味がない」って誰でもそう思ってますって。わざわざ日経の全国版で言わなくてもいいことです。ましてや「わが国の金融機関が一時期、世界的に見てもトップクラスの規模を誇りながらも、その後業績が大きく低迷したことなど、規模の拡大が業績に結びつかなかった例は枚挙にいとまがない」って何年前の話をしてるんですか?そのころの経営者はほとんど鬼籍入りしていて、その反省の上にすでにビジネスは進行しているのです。

企業経営者が「規模の経済性という言葉に頼りがちになる」という思い込みが筆者にはあるようだ。イマドキそんなこと信じている人は私の知る限り一人もいない。さらには「現代の企業においては、経営者の能力は重要である。近年、敵対的企業買収が増加しているのも、経営陣のマネジメント能力が企業価値に重要な影響を与えると買収者が考えている結果でもある。」ときた。買収者じゃなくてもわかりますって。昔からこの筆者を除く世の中の人はほとんど知ってます。社会人を馬鹿にするにもほどがありますね。

で、この論文?は冒頭で「時価総額の高い会社は企業価値の高い会社といえるか」という問題提起をおこない、それを否定するようなことを言いながら、最後には「株価を高める工夫と努力」を企業に求めている。もう一度言いますが、株価が高まれば時価総額は上がります。だからこの筆者の主張は「時価総額の高い会社が企業価値の高い会社だ」というのと同義なんです。そこのところ、ヨロシク。

最後に何が不満かということをまとめると、そもそも、これほど仰々しく全国紙のスペースを使って主張すべき内容かどうかということ。内容は間違っていないが、日経の読者層を考えるとあまりにも馬鹿にした内容だと思う。ついつい、最近の必修逃れの事案とリンクして考えてしまい、大学の先生はレベルの低い学生を相手にし続けてきた結果こうなったのかと邪推してしまう。

まあこういう内容はブログ程度でとどめておいてほしいものですね。




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
確かに、大学生のレポートレベルともいえる様なものであった事は同感ですが、批判が揚げ足取りになってませんかね?
「やるべきことは規模の拡大ではなく、株価を高めるような工夫と努力である。」ってのは
発行済株式数を増やすのではなく株価を高める事で時価総額を上げよという趣旨のもとでの意見だと思われますが。
「投下された資金量が一定で・・・」という下りでは時価総額上昇を肯定しているので。
たぶんイオンやJALの公募増資みたいなのを批判したかったんじゃないですかね、この東大助教授は。
takenori
2006/11/02 00:54
takenoriさまコメントありがとうございます。まあやや感情的に揚げ足取りに近いエントリーになったかもしれませんが、ご指摘いただいたようなJALなどのケースでも私の感覚では経営者としては「確信犯」という感覚で、あれが前向きの経営戦略だったと思っている人は一人もいません。JALのケースでは一部金融機関が破綻懸念先に分類するよう金融庁から指導されたという一部報道(選択10月号)にもあるように、時間のない中での緊急公募増資であり、主要株主にも事前に相談がなく、しかも株主総会の直後というタイミングでした。つまり「常識を欠いた」ものであったわけで世間的にも直ちに厳しい批判にさらされたのはご存知のとおりです。
一般的にも公募発行増資みたいなものは当然一株あたり株主価値の希薄化を伴うので、その増資によって明白な株主価値を増やせるというプランがなければなかなか通らない話です。サイズではなく株主価値の増加でなければならないというのはその点でも当然のことであり、大学新入生向けのやさしいテキストならともかく、日経新聞で改めて主張されるほどのことではないのではないかと考えております。
(続く)
厭債害債
2006/11/02 06:22
当論文で主張として成り立っているかもしれない部分は規模の経済性は必ずしも絶対ではないということと、M&Aへの依存を戒めた部分ですが、前者にたいするアドバイスもありきたりのものだし、後者に対してはアドバイスが「収益性の重視」という当然かつあいまいなものにとどまってしまっているので、せっかくの指摘が何も生かされないことにもなっています。私としてはその点を捉えてこの論文を読者を馬鹿にしたものと判断したのです。


厭債害債
2006/11/02 06:26
新聞で改めて主張する事ではないとのご意見には全く同感です。
ただ「何を馬鹿な事を」と言いたくなるくらいトンチンカンな記事を書く記者が散見される中で
「ふーん、で?」ぐらいの今回の論文に対してやや厳しすぎかなと思い
助教授さんがちょっと可哀想になっただけですので(笑)
無視して頂いて結構だったんですが、追加コメントありがとうございました
takenori
2006/11/02 13:31

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