厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS ライフセトルメント(生命保険契約の譲渡)をベースにした証券化商品

<<   作成日時 : 2009/09/16 08:00   >>

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http://www.cnbc.com/id/32707038

以前にライフセトルメントについてエントリーをあげて、まあ倫理的な問題の大きいことを認識しつつ、工夫の仕方によってビジネスになりうるという話をしたが、その後景気がさらに落ち込むにつれ、保険契約者の側からのニーズが高まってきて生命保険の証券化ビジネス化の話が進んでいるようだ。つまり、保険料を払えないのだけれど、解約するよりも手取り金が大きくなる契約譲渡に向かう契約者のニーズが多くなっている、ということだろう。

以前にも書いたが、基本的にはこういうビジネスはモラル的にはかなり問題がある。たとえば死亡保険を証券化したものであれば、たくさんの人が早く亡くなるほどリターンが高くなるのであり、「人の早期の死を願うインセンティブ」が生まれるからだ。またそれに伴って組成時の値段のつけ方やもしかしたら生死そのものについても詐欺的な行為が行われる可能性もある。
保険というのはもともと「被保険利益」の存在を前提とするのだけれど、譲渡してしまうという行為は、その被保険利益を保険事故が起こらない状態で一部先取りさせて被保険利益のない状態で保険を存続させることだ。つまり本来の保険が予定していた経済的な仕組みを大きくゆがめてしまうのである。

ただ、逆に生存保険(たとえば年金)の証券化はどうだろうか?自らが受け取る将来のキャッシュフローの一部を、生活に困らない範囲で処分して今必要な現金支出に当てる、というのは、借り入れを起こすよりは健全にも思える。ただ、これらの場合の多くは逆に予定されている解約返戻金より契約者が受け取るお金が少なくなる可能性も多い。とくに健康に若干の不安がある被保険者である場合は、想定される受け取り期間が短くなるとみなされて、その分買取価格が引かれるだろう。

投資家にとっての問題点も指摘されている。それは、サブプライム証券同様に、格付けにその信用力を依存しようとしていることだ。一部投資銀行は、SPやMoodysがさすがにこういうビジネスにもはや及び腰になっていることをから、小さな格付け会社の格付けを取得しようとしているのだという。また、一般的には医学が発達して寿命は延びる傾向にあるため、投資家にとって意外に損失をもたらす可能性も少なくない。とりわけ、束ねた保険の被保険者が同じような病気で余命が少ないと判断されている場合、その病気に対する劇的な治療法が開発されたとき(たとえばエイズ)投資家が大きな損失をこうむることになるといわれている。エイズのケースでは実際損失をこうむった投資家が多かったという。

一部の関係者はライフセトルメント証券化商品を他の金融商品との相関が小さいためポートフォリオに組み入れるのにふさわしいと薦めているようだ。しかし、このような商品を「分散」とかポートフォリオ効果とかいう観点でしか把握できなくなったら、まあ人間として終わっているかもしれない。本来は人が医学の進歩で人が長生きできるようになることを祈らなければならないのに、その逆を願うような商品をリスクリターンという観点だけで取り扱うことには強い違和感を覚える。

いずれにしても、顧客ニーズと倫理と契約自由の原則とのぎりぎりの境界線にあるビジネスではあろう。

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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
いつも楽しく拝見しています。
かつて、私自身ポートフォリオの観点からライフインシュアランスの購入を真剣に考えていたもので、改めて考え直す契機となり、今回コメントしました。
本文でもご指摘のように、倫理の面で、所謂普通の投資商品とは違う点は、当時から認識があり、まさしくその点について社内の上層部を説得できる自信がなかったことから、結局その当時、購入をあきらめざるを得なかったというのが、私の場合の経験です。
しかし倫理面という話だけで強調されると、例えば保険会社のようなところは、保険商品では人の長寿を願い、年金商品では人の短命を願うような面もあるはずで、それと同じようなもので、投資としての対象からあえて外すほどのことではない、と当時も、今も考えているのですが、そのあたりは如何お考えでしょうか?
また、例えば所謂ハゲタカ系のアクティビスト・ファンドなども、言い様によってはその企業で働く人々の生活基盤を脅かすという点で、ドイツのメルケル首相とかは、非常に嫌っているように思え、本文最後にある、「顧客ニーズと倫理と契約自由の原則とのぎりぎりの境界線」というのも、社会や文化、風土といったものにも左右されるものと考えますが、そうした点については如何お考えですか?
tatsu
2009/09/16 09:18
私は、厭債さんが最後のほうでおっしゃっている点に激しく同意します。同様な商品でカタストロフィー債なるものが昨日のニュースでも出ていて、「これは、分散投資に最適な商品だ」みたいなコメントをするウォール街の輩をみていると、げんなりします。
報酬等の規制強化に対しても抵抗しているようで、ガイトナー長官に対して議会で、「規制によってinnovationが失われ、競争力がなくなる」とほざく業界代表の言葉を聴くと、今あなたたちに必要なのは、競争力よりも、謙虚とか誠実とかいう言葉ではないですか?と言いたくなります。
彼らのお金に対する執念と知恵をもっと他の分野で発揮させてやれないものかと思いますが、、、
青臭いですね、、、失礼しました。
よっしー
2009/09/16 13:39
tatsuさん、興味深いコメントありがとうございます。保険会社というのは厳しい免許事業でありまして、人の死亡リスクや生存リスクにたいする経済的な備えを引き受ける社会的使命があるからこそ、厳しい規制と監督に服するのだと思います(日本の場合それにふさわしい保護がないのが気になりますが)。保険会社は年金を引き受けても決して「短命を願う」ということはないし、万が一にも詐欺的な契約設計などしないように厳しい監督に服します。ところが契約をそこから自由に切り離すことを認めてしまうと、社会的な意義を無視した経済的な側面だけが監督に服さないまま一人歩きする非常に危険な状況になると思います。引用した記事では、こうした契約譲渡によって、保険会社の数理的基礎に影響を与えかねないことも指摘されています。まあ基本的には契約自由の範囲に含まれるとしても、社会的な意義を壊さない範囲に限定されるでしょうし、それを取り扱う人々が保険会社並みの厳しい規制に服することが大前提だと思います。

なお、顧客にとって解約よりもたくさんのお金がもらえる、という部分は本来は保険会社の商品設計において解決する問題だろうと思います。
厭債害債
2009/09/16 15:10
よっしーさんどうもです。矛盾しているように思われるかもしれませんが、ワタクシは原則的にはこういう証券化もありだと考えているのです。ただ、問題はまさに特に死亡保険について「人の命の対価」を経済的観点だけから市場取引にかからせて良いのか、ということであり、仮に認めるとしても不埒な参加者を排除する仕組みが必要だろうということです。ワタクシが最後に「このような商品を「分散」とかポートフォリオ効果とかいう観点でしか把握できなくなったら、まあ人間として終わっているかもしれない」というのはそういう意味であり、まさに被保険利益がない普通の営利主体がこういう商品を投資対象としてみることの危険についてさらに突っ込んだ分析がまず必要だろうと思っています。
厭債害債
2009/09/16 15:16
違うね。
救いは死にしか無い。

倫理とは死を基盤とする。
何故なら絶対確実な将来は私は死ぬというコトだけだからね。
kazzt
2009/09/21 01:04
kazzt氏
倫理とか正義というものは、あなたがしたり顔で断言できるほど底の浅いものじゃないでしょう。
人それぞれの倫理や正義があるからこそ、世界は複雑であり、それに由来する難問が山積しているのだから。
kazzt氏は、よくこちらのブログで御自分の正義を講釈されているが、世界はもっと多面的だということを理解されたほうが、物の見方が広がるのでは?
mas
2009/09/21 16:38
kazztさん、どうもです。救いは死にしかない、というのは宗教としてはわかりやすいのですが、本ブログは一応経済事象や証券市場を中心として取り扱っておりますので(仮に皮相的だといわれても)そこへ議論を持っていくつもりはありません。

masさんどうもです。御意でございます。
厭債害債
2009/09/22 06:18
というか、宗教に対してまで証券業者が悪用した状態がアメリカで始まっているという問題でしょ。
たかが金程度で死を扱うことなんか出来はしない。
死と金は確かに近い関係にあることは認めるけど・・・
あくまでも金(あるいはそれを無限収集したがる病癖と)は死を恐れることしか出来ない人間の無残さの象徴に過ぎない。
死をやさしさと感じることが出来ぬ存在の乖離がどこに有るのかが僕には理解できない。
kazzt
2009/09/26 01:47
これはモラルの問題ではないと思います。
マクロ経済の問題だと思います。
つまり、次なるバブルを設定するにはこのようなふざけた内容の証券化にまで踏み切らねばならない現状の問題です。
つまり、倫理観にかなうかどうかの議論は結果的に空転せざるを得ないのです。
なぜならば、そこにこの問題の本質はないからです。
お金をかき回さなければ世界経済が立ち行かなくなるので証券化できれば何でもよいのですから。
別段、生命保険の証券化ではなくても天候デリであってもそれを証券化しなければならない最大の理由は、通貨経済の流動性確保にあるからです。
倫理を持ち出すのは重要なことかもしれませんが、そのような議論を元に是非が決定される種の問題ではないと思います。
にゃごろん
2009/11/08 23:29
にゃごろんさんコメントありがとうございます。おっしゃる通り、お金を回して利益を得るという行為によって生きていかなければならない人々がいます。しかし今まさにいまその放任にたいする反省がでているのであり、それを止めるロジックはやはり倫理ではないか、と思います。
厭債害債
2009/11/09 01:10
返信ありがとうございます。
私が危惧するのはその精神がロジックで止められるかということです。
「ロジックと倫理」は「グローバルとローカル」くらいかけ離れた存在だと思います。
ルールだけで統制することは極めて困難なことです。
ルールで決まっていなければ何をやってもよいことになるのですから・・・。
そこで倫理を語ることになるのですが、これが人によって異なるので解決はさらに困難になります。
いわゆる、総論賛成各論反対の壁にぶつかってしまう気がするのです。
この現在世界に流れている経済システムを成り立たせている精神を見るたびに無力感に襲われるのは私だけでしょうか。
結局は第二次欧州戦争のような事態になる気がするのは私だけでしょうか。
失業者を軍隊で吸収し、戦争という名の公共事業を勃興させ、結果として世界GDPを削り、需要を生み出す。
これを繰り返すしか今の世界経済危機は解決困難な気すらしてきます。
生命保険の証券化などのインチキ策が尽きたときがそうなる時なのかも知れません。
にゃごろん
2009/11/09 21:03
にゃごろんさん、どうもです。実は根底ではワタクシもにゃごろんさんと同じような危惧を抱いています。つぎはぎのごまかしで経済システムを延命させ続ける結果、限界が来てより大きな厄災につながっていく。そういうことにならないよう、倫理が歯止めになる事を祈っています。ただし、結果についてはワタクシも悲観的ではあります。
厭債害債
2009/11/12 10:09

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