厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS Perception of Risk

<<   作成日時 : 2012/06/18 17:27   >>

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(一部本文を訂正しました)

http://www.uns.ethz.ch/edu/teach/0.pdf

Paul Slovic氏が1987年にサイエンス誌に掲載した論文のようです。あるセミナーで紹介されていましたがこれまで寡聞にして知りませんでした。

これはチェルノブイリやスリーマイル島の原発事故のあとで書かれているのですが、リスク認識における一般人と専門家の違いやそれらにかかるバイアスといったものを分析していて興味深いものがあります。

まず目を引くのがTable1として表示された一般人と専門家のリスク認識度の違い。このリサーチそのものがいつ行われたかははっきり書かれていませんが、2030個の被害事例を並べてどれの「リスク」がもっとも大きいかという並べ替えを行ってもらったところ、一般人は原子力発電所を1番に上げているのに対し、専門家(この場合原子力の専門家という意味だろうと思いますが)はこれを20番つまり最下位という下位にあげている。ほかの多くの事例が一般人と専門家で大きく違わないことに比して、この「原子力発電」についてのリスク認識の違いは際立っています。

リスク認識の度合いが専門外の一般人と専門家との間である種のリスクについて大きく異なっているのは、専門家がリスクの度合いを量的な単一の基準(年間の死亡者数など)で計測しがちなのに対し、一般人はバイアスのかかった報道も含めた様々な材料をベースにリスクを認識するのであってそのアプローチがそもそも異なっていることによることが大きな原因とされます。

そして一般の人々の判断に与える心理学的な影響として次のようなものを例としてあげています。

・自ら好んで取るリスクの許容度はそうでない場合の100倍も大きいという研究(Starr)もあり、リスクの概念そのものに違いが生じる。

・一般の人々はリスクが「巨大で壊滅的な結果となる」かどうか、あるいは「良くわからない」かどうかといった(感覚的な)ファクターによってリスク認識は強く影響を受けるが、専門家はそうしたファクターではなく年間の死者数などといった定量的な指標で判断する傾向がある。

・大事故がおこり多数の死者が出ても、それが日常的に親しみのあるシステム(例えば列車事故)で起こっていれば、社会的な不安感は少ない(ためリスクとしては小さく評価される)。しかしあまりよくわからないシステム(例えば原子力発電や遺伝子組み換え)での小さな出来事は、壊滅的な被害の前兆となるとみなされれば、大きな社会的なイッシューとなる。(そしてリスクとしては大きいものと評価されやすい)。


しかしながらこの論文の重要な結論は、こうしたリサーチを元に一般の人々のリスク認識がおかしいと言うのは言いすぎである、ということです。確かに彼らの判断は数値的なデータに基づいてはいないとはいえ、リスクの基本的な概念というのはそういった定量判断だけで済ませるわけには行かないし、一般人のほうが専門家が無視しようとする部分を正当に評価していることもあるから。そういう両方の視点を同時に持たないリスク・コミュニケーションは必ず失敗するのであり、両方の知見をそれぞれ尊重しながらリスク判断のアプローチにいかしていく必要がある(そしてそれを政策決定にも生かしていく必要がある)、というのがこの論文の結論です。
(勝手に要約してしまいましたが、詳しい方でそんな内容じゃないよというご指摘あればよろしくお願いします)。

関西電力の大飯原発再稼動問題をめぐってはどうも国論を二分するような話になってしまいました。おそらく橋下氏を含む多くの方々の間では「妥当な」結論は始から見えていたのではないかと思うのですが、やはりどうしてもこれだけ大きなイッシューになってくるとその過程でいろいろなことが起こるのは仕方ないと思います。ただ、これはきわめて重要なことを決めようとしていたのですから、その過程でお互いに十分な議論を尽くして結論を出さなければならないし、双方における信頼感を失わせるような行動や言動が一部において見られたことはやはり問題をここまで大きくしてしまった原因のひとつではないか、と思われます。

リスク管理の重要な要素として「リスク・コミュニケーション」というのがありますが、それは組織においてどういうリスクがあるかを詳細に洗い出してそれを認識することが基礎にあります。その上で十分な議論を尽くし、組織として「リスクをとる」「取らない」という結論を導く必要があるわけです。

今回の大飯原発については、国や関西電力が十分なデータをきちんと提供できていたのかどうかがまず問題となります。この点もう一度きちんとした見直しが必要だと思われます。再稼動反対の立場からは、根拠もないのに「テロリスト」呼ばわりしたりするなどコミュニケーションを阻害するような言動が見られがちでしたが、こういうのは百害あって一利なしで、厳しく反省する必要があるでしょう。

上記の論文にもあるとおり、一般人のリスク認識が完全にデータに基づいていないからという理由のみでそれを軽視することは危険です。良くわからないことについてはわかるようにした上での合意形成を進めていくのが政治というものだと思います。メディアの役割は大きいですね。

今回の決定過程で国民レベルで一定の議論の期間があったことはそれなりに良かったのではないかと思います。しかし、本当に十分にリスク・コミュニケーションが取れたかというと、先ほど述べたような理由でやや心もとないのであり、今後同じようなハザードが繰り返されるとき、きちんと国がひとつにまとまれるかという点ではやや不安を残す結果となりました。

いずれにせよ今回は国の責任者が「再稼動によるリスクをとる」という結論を出したわけです。そもそも、リスクというのは金融の方であれば常識ですが「リターン」との関係で捉えるべきものであり、今回の判断もリターンが大きい、あるいは停止した場合の負のリターンが大きいという前提(こちらはある程度短期的に見えやすい)から導き出されたものです。政策当事者としては、目の前にある人の命を犠牲にしてまで停電してもいいとはいえないし、少なくとも自分たちで電力を十分に供給する手段がない以上、やむをえない結論でしょう。

が、ある意味これは時間稼ぎであることはきちんと認識しておく必要があると思います。そもそも、原子力発電の持つリスクは、先の論文の調査でも明らかなようにUnknownでありDreadと捉えられるわけで、そしてそれは基本的に長期のリスクとなります。つまり、今回の大飯の再稼動についてだけいえば、長期のリスク(というより不確実性)を負って短期のリターンを取りに行くというリスクの時間軸のミスマッチが生じているわけです。まあ政策決定者としては、同じようなことはいくつも行っているわけで、例えば金融危機の影響を緩和するための金融安定化法の措置や、景気悪化を受けた金融緩和や減税によって将来の成長に期待するというやり方もこの一種かとおもいます。いずれも、もしかしたらかえって将来的には被害が大きくなりかねないリスクを背負いながら、目先の痛みを和らげる役目を果たしています。政策としてこのこと自体は別に違和感のある結論ではない。しかし、今回取ったリスクは、安全性という点では、一般人から見た評価としてかなり大きなものであることはやむを得ません。いくら専門家が安全だろうといっても、すでに最近事故が起きてしまった以上、それを一般の人に説得するのは時間がかかる。今回の福島の被害だって十分確定したとはいえない。事故が個別性を持つがゆえに、前例は当てにならない。今回はそういう議論をさらに深めるための時間が必要だった、ということです。この時間稼ぎの間に、今後につながるようなきちんとした、罵り合いにならないような「リスク・コミュニケーション」の進展を見たいものです。そしてその議論と平行してより安全で自給できるエネルギーへの議論がすすめばいうことはありませんね。そのとき初めて、原子力発電の持つ長期のリスクとその長期の便益がバランスよく判断されることになるのでしょう。



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内 容 ニックネーム/日時
思うことはたくさんあるのですが、今回の事に関してやはり残念なのは福島第一の教訓が全く生かされていないと思われることです。

本来確率論的に、すなわちトレードオフとして考えられるべき「安全」がまたしても「神話」扱い。合いも変わらずどんな条件が揃えばとか、事故を起こさないためにはとか…。それを考えるのがムダとまでは思わないけど最大被害の最小化というコンティンジェンシープランは結局軽んじられています。地震予知と似てますね。

結局日本は原発を扱う資格がないのだと思います。
禁治産者ということです。
nobinobi99
2012/06/18 22:33
今回は「専門家の視点=原発は安全、専門外の一般人の視点=原発は危険」という単純な構図ではないように思います。専門家でも、斑目氏のように一次評価だけでは不十分という人や、大飯原発直下に活断層にある可能性を指摘する学者もいますし(それに対する関電の「昔調べたから大丈夫」との趣旨の即答にはびっくりしました)、専門外の一般人でも、電力会社の株主や債権者などの利害関係者は再稼動を積極的に支持していますし。

原発のテクノロジーが絶対的に安全かどうか、過去データを上回るような「想定外」の自然災害が将来絶対起きないといえるかどうかは、議論が分かれるのかもしれませんが、原発を運営する人たちの心構えとか規律とかモラルの問題が解決しない限りは、不安に思う人がいるのは当然のように思います。
Shine a light
2012/06/18 23:49
nobinobi99さん、どうもです。いまだに安全性というのは十分説得できているわけではないので、おっしゃる通りコンティンジェンシーとかいろいろな手を尽くしてせめて最悪の事態が避けられるということを納得してもらわないことには、物事はなかなか進まないのでしょうね。

Shine a lightさん、コメントありがとうございます。今回取り上げた記事は一般論としてのリスク認識であり、個別の地域や発電所に関するものではなかったと思います。また、専門家の判断基準が一般的に死者数などの一時的な数値によるものであることを示しているわけですが、個別の専門家の間でそれと異なる判断があることまで否定するものではないとは思います。一般人の判断についても同様だとは思います。おっしゃる通り、規律やモラルという点で本当に説得力ある議論が展開されないときちんとしたコンセンサスは生まれない。仮に多少危険であるということが明らかであっても、それを甘受しつつ稼働させるという結論は当然あっていいわけです。そしてそうした評価についての議論は最終的には選挙を通じて行われるのだと思っています。
厭債害債
2012/06/19 00:32
そうです。私の経験からも、日本的コンチプランなんてくその薬にもたたんのです、そういったマニュアルが教条的な、行動を現場に要求して危機を拡大させます。
コンチは、もともとがソ連の先制核攻撃があった時に、ホワイトハウスが機能しない(無力化)された状態でも自動的に反撃できる現場判断を規定したことから始まっています。
このへんは映画は「クリムゾンタイト」でもその現場指揮官の苦悩が描かれていますが。
基本的には、即時発動ルールがコンチなのに、上に報告だのいってるから危機が拡大するのです。それは馬鹿規制官庁とアホな政治家のせいって、今回の原発報告でもわかるよね。
常に現場に対する権限の委譲がコンチの基本です。
かる
2012/06/28 00:14

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