厭債害債(或は余は如何にして投機を愛したか)

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zoom RSS 高浜原発再稼働差し止め仮処分決定

<<   作成日時 : 2015/04/16 00:08   >>

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仮処分なので、まだあれこれ言うのもナンですが、本案よりも実際動かせなくなる分インパクトの大きい仮処分です。それだけに注目されていたわけですが、福井地裁の高浜原発再稼働禁止仮処分の決定は結論はともあれ構成上いろいろ問題がありそうです。

まず、いきなり、結論を導いた根拠に疑問が呈されています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150415-00010001-fukui-l18
根拠として使われた説のご本人から、「曲解」という評価がなされている。しかもそういう主張をされていたのに裁判所はそれを無視したとまで・・・。それって結論ありきってことでしたか?

また差し止めの被担保債権が「人格権」ってところがなかなかあいまいで理解しがたいところです。おそらく憲法上の概念と思われますが、実務でこの概念を振り回すのはかなりワタクシの感覚では「重い」というか「重すぎる」。こんな重いものを良くも軽々と振り回すものだと思います。普通はたとえばもっと具体的な権利たとえば夜間何デシベル以下の静かな環境を求める権利とかがあって、放っておくとその権利の侵害が続いたまま裁判の結果を待つことになる。それでは気の毒だからとりあえず仮に止めさせて結論を待ってもらう、つまり仮の地位を定めるというのが仮処分です。ところがここでいう人格権は「万が一地震が起きたときに大変なことになる」ということに基づく・・・・うーんなんだろう?やっぱりわかりません。要するに、たぶん本案でもそうでしょうけれど、差し止め仮処分によって保全すべき被担保債権がよく見えてこないのです。以下は決定要旨からの抜粋です。

「新規制基準に求められるべき合理性とは、原発の設備が基準に適合すれば深刻な災害を引き起こすおそれが万が一にもないといえるような厳格な内容を備えていることであると解すべきことになる。しかるに、新規制基準は上記のとおり、緩やかにすぎ、これに適合しても本件原発の安全性は確保されていない。新規制基準は合理性を欠くものである。そうである以上、その新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく債権者らが人格権を侵害される具体的危険性即ち被保全債権の存在が認められる。」

「人格権を侵害される具体的危険性」が被保全債権だというのですが、その前と併せて読めば「100%安全でなければこれが存在する」ということです。では、自動車は?飛行機は?原発被害は確かにインパクトは強いでしょうが、人が死ぬあるいは重大な後遺障害を生むという点では同じです。石油ストーブだって引火したら家ごと丸焼けで一族郎党みな死んでしまいます。ではそういう製品を作っている会社は「人格権」を侵害する具体的危険を発生させているといえるのでしょうか?それぞれ安全基準があるはずですが、自動車も飛行機も数多く事故が起き多くの人がなくなっています。安全基準がそういうものであるとすれば、このロジックだとちょっと「原発」にたいする冷静さを欠いた評価と言われかねません。この裁判官のところで私が自動車メーカーに対する製造差し止め仮処分と自分の生活範囲での運行禁止仮処分を申請したら認めてもらえることになりそうです。私はあした自動車にはねられて重大な後遺障害を生じてしまうかもしれませんからね。万が一にもないとは言えませんから、私には人格権を侵害される具体的危険性がありそうに思います。

次に個人的にやりすぎじゃないのかと思うのは、裁判所が独自の判断で規制委員会の規制基準について「不十分である」と断じていることです。

規制基準は原子力規制委員会が決めることになっています。これは「規則」という形で定められています。原子力規制委員会とは何かというと国家行政組織法3条2項にあるいわゆる3条委員会と言われる独立性の高い委員会であり、環境省の外局であり、そこが定める規則というのは「省令」ということになります。
法律の委任体系として法律→政令(政府が法律の範囲内であるいは委任を受けて定めるもの)→省令(法律や政令の委任を受けて定めるもの)とありまして、原子力規制委員会規則の形で規制基準を定めることは明確に原子力規制委員会設置法という法律に基づき委員会(省と同格)に委任されています。
つまり今回くそみそに裁判長から言われたこの規制基準は日本の法体系上きちんと位置付けられた「ルール」(つまり国民の委任を受けた国会が制定した法律にのっとり委任を受けて制定されたルール)である、ということです。格は法律より下であるとはいえ、一定の範囲での処罰規定すら委任できるのが政令であり省令です。裁判所がまずやるべきことはその法律や政令、省令などに基づいて、行政がおこなわれているのかどうかの判断であり、あるいはその政令や省令が上位規程(法律など)の委任の範囲を超えていたり委任の趣旨を逸脱していたりしないかどうか、の判断であろうと思います。

ところが今回の仮処分決定ではその省令に定められた規制基準の中身そのものが「だめ」だという。決定要旨の最後の方で規制基準の中身がダメな結果として、人格権の侵害の具体的危険があると構成している。人格権というものを持ち出した段階でこれは「憲法判断」です。人格権に基づく差止請求は、不法行為に基づく差止請求権よりも、人格権の侵害という見地において不法性が大きく、それを放置することが社会正義に照らして許容されないレベルの場合にしか認められないと解されていて、要するに通常の法律の条文を超えた世界で仮処分を認めたということになります。権限ある委員会の定めた規制基準の正当性を否定しにかかっているわけですから、極端に言えば、立法府が定めた規制委員会の設置もその規制委員会の活動もみんな「クソ」だと断じているわけです。ここまで言ってもいいんでしょうか?一応専門家の集まりとして尊重されることになっている規制委員会の考えを覆す、それほどこの裁判官は原子力や地震の安全性について造詣が深いのでしょうか?もちろん憲法判断をしてはいけないことはないのですが、その割には根拠が薄弱なような。ただ、一方で「クソ」だと簡単に素人裁判官に言われてしまうほどのものなら、もう一度きちんと立てつけから見直してみる必要があるのかもしれないとは思います。この辺もっとしっかりと基準そのものを議論すべきではないか、という意見は当然あってしかるべきでしょうね。

もう一つ気になったことを書きます。差し止め仮処分とは本案判決などを待っていたら当事者の利益が回復不可能な形で損なわれる可能性が強い場合に出されるものです。決定がなされたことは、本案判決までの数年以内にかなりの確率でこの地方に大地震が起こって原発事故が発生し住民に被害が出ると裁判所が判断したことを意味します。現状だと被害が本案判決までの数年以内にかなりの確率で起こるといっている。(しかもご丁寧に「新規制基準に本件原発施設が適合するか否かについて判断するまでもなく」などと決定文に書かれていますから、ろくに調べもせずに・・・?)もし数年以内に原発がぶっ壊れるような大地震が起こる確率が極めて高いなら、こんなところで議論している場合ではないでしょう?住民たちをさっさと避難させるべきではないでしょうか?そこまで認識した上での決定だったのでしょうか?

原発が危険か、必要か、といった議論はまだまだ続くとは思いますし、即時全廃という意見も当然あっていいと思います(私は緩やかな脱原発派です)。が、国民の委任をうけた国会があれだけの事故の後散々議論して作った枠組みをこうまで簡単にコケにできるほど、この裁判官が決定を下せる根拠ないし法律的な枠組みはやや弱いなぁというのが正直な印象です。やはり法律の枠組みを超越して「個人の結論」に引きずられた決定という印象はぬぐえません。


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