再び日経経済教室
書く事がないからいちゃもんつけまくってるだけ、という説は横において…
本日の経済教室では慶応の小幡准教授が政府系ファンド(SWF)について寄稿されている。おっしゃる事も理解できるのだが、現在最も大きな論点となっているポイントを意図的に外しておられるようだ。そもそも議論の出発点が、有り余るドル建ての外貨準備の積極運用(とくにサブプライム問題以降の混乱期を日本にとってのチャンスと捉えてやるべきじゃないかという意見)にあるのだが、その段階で、そもそも日本が持つ巨額の外貨準備の見合いとして政府は円建てで短期借り入れを行いその資金で外貨を買っている(介入中心)ことが問題になった。
ある意味ではすでに相当リスクを負っているわけであるが、それはそれとしても、こういう状況で一層のリスクを負う運用がふさわしいのかどうか、という点は考慮しておく必要があるだろう。この流れの中で、運用の資金を外貨準備で保有している米国債などの利息部分に限定したりするというアイデアが生まれてきたわけだが、小幡論文ではこの辺のいきさつが一切描かれていないのはなぜだろうか?
「SWFを広く定義すれば、国家の資産を財源とした運用機関ということになる。そして目的は、一時的であれ、長期的であれ、余剰となった国家資産を効率的に運用することにある」とSWFを定義されるのであれば、今の日本のどこに「余剰となった国家資産」があるのかをまず示すべきだろう。外貨利息という部分は確かに一般会計への寄与があるが、全体で見れば大幅な財政赤字の中で、「余剰」があるとは思えない。論文で示された海外のSWFは筆者も意識されているように資源国、独裁国家、財政黒字国しかない。ここまで意識されておきながら、結論が「本来すべき議論は、SWFは理念的には作るべきだが、それをどのようにつくるか、ということなのである。」となるのが理解できないでいる。
日本という国におけるSWFの必要性の議論は、埋蔵金の議論も含めもっと豊かな議論があちこちで展開されているのに、そうした議論を一切とばして、はじめから設立が必要だと結論付けているように読める。唯一検討しているのが、「リスクが高いかどうか」という点で、世の中に「ファンド」という名前によってリスクが高いと誤解している人がいるような書きぶりだが、少なくともこの議論にかかわっている人々の中で私が拝見した中でそういう風に考えていた人はこの筆者が初めてだ。現状のままでリスクがないとは誰も思っていないし、むしろ裸の外貨や政府証券だけ持っていることは確かにリスクが高いのだ。だからこそ、SWFではなく、ほかの方法で何とかリスクエクスポージャーを減らす方向に行くのが財政赤字国日本のとるべき道ではないかと思うのだが。
もちろん外貨準備とは別に、政府がわざわざ金を出してファンドを作る方法もある。ODAみたいに発展途上国に出資し長期の高リターンを狙ったりしてもいいだろう。しかし、それは「余剰資金」ではないから筆者の言うSWFにはならないだろう。
結論は実は概ねワタクシが批判した金曜日の経済教室と一緒だ。「実現可能な組織構造の下でのSWFと、年金をはじめとする様々な国民の資産を政府の内部組織や外郭団体に不透明なままで委託していると、どちらがより非効率性が小さいか、ということが真の論点なのだ。」という。
ワタクシはSWFに対しては反対だが、賛成の意見も当然ありだと思う。ただ、こういうところに書くのだから、少なくともSWFにまつわる議論をきちんと踏まえた論旨を展開した上でやってほしいし、結論を強引に運用者の問題に捻じ曲げるようなことはしないでもらいたいと思った。願わくは、日経の経済教室が特定の勢力のプロパガンダの場になっていないことだけは祈りたい。
本日の経済教室では慶応の小幡准教授が政府系ファンド(SWF)について寄稿されている。おっしゃる事も理解できるのだが、現在最も大きな論点となっているポイントを意図的に外しておられるようだ。そもそも議論の出発点が、有り余るドル建ての外貨準備の積極運用(とくにサブプライム問題以降の混乱期を日本にとってのチャンスと捉えてやるべきじゃないかという意見)にあるのだが、その段階で、そもそも日本が持つ巨額の外貨準備の見合いとして政府は円建てで短期借り入れを行いその資金で外貨を買っている(介入中心)ことが問題になった。
ある意味ではすでに相当リスクを負っているわけであるが、それはそれとしても、こういう状況で一層のリスクを負う運用がふさわしいのかどうか、という点は考慮しておく必要があるだろう。この流れの中で、運用の資金を外貨準備で保有している米国債などの利息部分に限定したりするというアイデアが生まれてきたわけだが、小幡論文ではこの辺のいきさつが一切描かれていないのはなぜだろうか?
「SWFを広く定義すれば、国家の資産を財源とした運用機関ということになる。そして目的は、一時的であれ、長期的であれ、余剰となった国家資産を効率的に運用することにある」とSWFを定義されるのであれば、今の日本のどこに「余剰となった国家資産」があるのかをまず示すべきだろう。外貨利息という部分は確かに一般会計への寄与があるが、全体で見れば大幅な財政赤字の中で、「余剰」があるとは思えない。論文で示された海外のSWFは筆者も意識されているように資源国、独裁国家、財政黒字国しかない。ここまで意識されておきながら、結論が「本来すべき議論は、SWFは理念的には作るべきだが、それをどのようにつくるか、ということなのである。」となるのが理解できないでいる。
日本という国におけるSWFの必要性の議論は、埋蔵金の議論も含めもっと豊かな議論があちこちで展開されているのに、そうした議論を一切とばして、はじめから設立が必要だと結論付けているように読める。唯一検討しているのが、「リスクが高いかどうか」という点で、世の中に「ファンド」という名前によってリスクが高いと誤解している人がいるような書きぶりだが、少なくともこの議論にかかわっている人々の中で私が拝見した中でそういう風に考えていた人はこの筆者が初めてだ。現状のままでリスクがないとは誰も思っていないし、むしろ裸の外貨や政府証券だけ持っていることは確かにリスクが高いのだ。だからこそ、SWFではなく、ほかの方法で何とかリスクエクスポージャーを減らす方向に行くのが財政赤字国日本のとるべき道ではないかと思うのだが。
もちろん外貨準備とは別に、政府がわざわざ金を出してファンドを作る方法もある。ODAみたいに発展途上国に出資し長期の高リターンを狙ったりしてもいいだろう。しかし、それは「余剰資金」ではないから筆者の言うSWFにはならないだろう。
結論は実は概ねワタクシが批判した金曜日の経済教室と一緒だ。「実現可能な組織構造の下でのSWFと、年金をはじめとする様々な国民の資産を政府の内部組織や外郭団体に不透明なままで委託していると、どちらがより非効率性が小さいか、ということが真の論点なのだ。」という。
ワタクシはSWFに対しては反対だが、賛成の意見も当然ありだと思う。ただ、こういうところに書くのだから、少なくともSWFにまつわる議論をきちんと踏まえた論旨を展開した上でやってほしいし、結論を強引に運用者の問題に捻じ曲げるようなことはしないでもらいたいと思った。願わくは、日経の経済教室が特定の勢力のプロパガンダの場になっていないことだけは祈りたい。
この記事へのコメント
で特別会計が変わって、年金、郵貯、簡保とも自主運用なのですが、さすが一気に非効率で儲からん財投やめます何ていえないもので、財投債ってわけのわかんものを引き受けてるわけで。もともと郵政民営化議論の背景には、このあたりの明確化という議論があるのでしたよね。
そういう意味では、郵貯銀行やら簡保生命だっけ。が本気で自主運用したら、そら怖いでっせ。
日本国債全部売って、海外投資やりますってのはどうでしょう。でもやったとたんに円安で海外投資できねーか。
日本の外貨準備は、調達と運用間の期間のミスマッチはどれ位なんでしょう?
他人の金で上手くリスク回避して、金儲けする方法がないものですかね?
ご指摘のとおり、日経がSWF賛成派の片棒担ぎしてない事を望みますね。なんか経済教室というよりは”○○先生の資産運用教室”みたいになってしまっている気が・・・ 昨日のNHKスペ、GSからBS救済依頼電話を放送できるとは、流石NHKですね。びっくり&感心しました。
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フレッドさん、私はこの番組見逃しました。もう少し詳しく説明していただけますか。
レバレッジ君さん、どうもです。外貨準備の満期構成については公表されていないようですが、理屈の上からはかなり短いものが多いと思います。負債は円の短期資金(政府証券)ですが、問題はそれよりも負債を円で調達して外貨で資産を保有するというところのミスマッチであろうと思われます。
ちゅうさんどうもです。この方のご出身は財務省でご専門は行動ファイナンスのようですね。
フレッドさん、どうもです。おっしゃるとおりですね。最近の流れの中で、ちょっと気を許すとそういうことがおきやすくなっているのかもしれません。